福音の働き人たち
- 使徒行伝 16:9-10 -
シャローム宣教会
9. ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
10. パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使 16:9-10)
序言.
+ マケドニヤ地域のピリピ教会は、宣教の前哨的な基地としての極めて重要な役割を果たした。
+ 福音の働き人たちはまことに忠実な者であった。
[テサロニケ第一 1:2-3] 2. 私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、3. 絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。
本文講解.
[使 16:9] 使徒パウロの生涯における「特別な夜」の経験:パウロの信仰生涯の中で特別な「夜」があるのは、使徒16章9節(本文)、および18章9節、23章11節の三回です。それぞれ、「幻」によって、「幻の中の主の声」によって、直接主の声によってみこころが示されています。
[使 23:11] その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。
[使 16:10] 10節の主動詞は、「ただちに・・へ出かけることにした」の「した」の部分である。この語彙は本来は「熱心に捜し求める」という意味ですが、ここではあることを熱意をもってしようという意味です。「出かけようと熱心に努めた」のは、「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだと、確信したから」なのです。
ここの「確信する」という動詞は「スンビバゾー συμβιβαζω」です。この語は、比較検討しながら最終的な結論を出すことを意味しています。さまざまな材料を組み合わせながら、比較検討しながら、論証しつつ、最終的な結論を出すということです。つまり、主の導きを知るに至ったという意味になります。ここで注目すべきことは、ここでの確信ー神がマケドニヤで福音を宣べ伝えるということーが、パウロ一人だけでなく、「私たち」の全員が確信したということです。
1。福音の働き人たちは信仰の働きで福音を伝えた
⑴ パウロは幻想を見たとき、彼らはただちにマケドニヤに出かけた。
[使 16:10] パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
⑵ 常に祈りながら福音を伝えた。
[使 16:13] 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
⑶ 神を敬う人に会った。
[使 16:14-15] 14. テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。15. そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、。。。
+主はルデヤという女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
+主は彼女も、またその家族もバプテスマを受けさせた。
2。福音の働き人たちは愛の苦労をしながら福音を伝えた。
⑴ 福音の働き人たちは伝道者たちを自分の家に来てお泊まるように願った。
[使 16:15] 。。。彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。
⑵ 福音の働き人たちは自分の家を信徒たちのために使った。
[使 16:40] 牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。
⑶ 福音の働き人たちは伝道者たちを経済的に後援した。
[ピリピ 4:15] ピリピの人たち。。私が福音を宣べ伝え始めたころ、。。私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。
⑷ 福音の働き人たちは伝道者たちと共に福音の働きに協力して戦った。
[ピリピ 4:3] 。。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。
3。福音の働き人たちは望みの忍耐をしながら福音を伝えた。
⑴ 神はパウロに幻想を見させた。
- 幻想を見させたことは神が行うこと、つまり真の望みを知らせたことである。
⑵ 望みの内容は「福音を宣べさせること」、すなわち人々の霊魂を救うことだった。
[使 16:10] パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
⑶ その望みを激しい苦闘の中で忍耐を尽くして果たした。
[テサロニケ第一 2:2] 私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました.
結言.
(1) 伝道と福音の働きは神の導きによってなされる。
私たちは神の導きに従ったり、立ったりしなければならない。私たちの人生は、神様の教えを叶える日々でなければならない。
(2) 福音の働き人たちの道は苦難の道だが、神の権能を見て慰めと喜びも得る道である。
したがって、福音の働き人たちはいかなる条件においても落胆せず、神の御言葉を信じて行い、賛美しながら祈り、力を尽くして福音を伝えなければならない。