永遠のいのち
- ヨハネ福音書14:6 -
[インマヌエル 上巻.4-18]
[ヨハネ福音書14:6] 「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
[ヨハネ福音書3:16-17] 「16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」
1. いのちの起源
(1) すべてのいのちは神から生まれたものである。(創世記2:7)
「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)
(2) いのちはイエス・キリストのうちにいる神の属性である。(第一ヨハネ5:20)
「神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」(第一ヨハネ5:20)
2. いのちの種類 - 肉のいのちと霊のいのち(ヨハネ福音書3:6)
(1) 肉のいのち
1) 肉のいのちとは何か?
① 塵から創造された人間に与えられた肉体と霊魂のいのちである。(創世記1:26-27、3:19)
② 初めての人が犯した原罪により、死んだ者となった。(創世記3:1-24、エペソ書2:1)
③ その結果、肉は土に帰り、その魂は地獄に行く。(創世記3:19、マタイ福音書25:41)
2) 肉のいのちの期間はどれくらいか?
① ノアの時代の洪水以前には平均846年だった。(創世記5章)
② ノアの時代の洪水以後には平均393年だった。(創世記11章)
③ 出エジプト時代のモーセは120年だった。(申命記34:7)
3) 肉のいのちに関する聖書の様々な比喩
① 創世記47:9 – 先祖のたどった齢の年月のようだ。
② 詩篇73:20 – 人生は夢のようだ。
③ 伝道書6:12 – 人生は影のようだ。
④ ヤコブ書4:14 – 人生は霧 のようだ。
⑤ 詩篇90:9 – 人生は息のようだ。
⑥ サムエル下14:14 – 地上に注がれた水のようだ。
⑦ ヨブ記14:1-2 – 人生は花のようだ。
(2) 霊のいのち
1) 霊のいのちとは何ですか?
① 神の御子イエス・キリストのうちに存在するいのちである。(第一ヨハネ5:11-12)
② 原罪の赦しを受けた者に与えられる神の永遠のいのちである。(ヨハネ福音書3:14-16、エペソ書2:1)
③ このいのちを持つ者は、肉が死んで土に帰っても、変えられた新しい体を着て神の国に入る。(マタイ福音書17:1-8、ヨハネ福音書3:5、第一コリント15:52)
2) 霊のいのちはどのように得られるのか?
① 永遠のいのちである神の御子が人間の体をまとって来られた。(イザヤ書7:14、ヨハネ福音書1:14)
② 人間の罪の代わりに十字架で死なれたが、神は彼を復活させられた。(ローマ書10:9)
③ 彼は救い主イエス・キリスト(祭司、王、預言者)である。(ルカ福音書2:11-14)
④ イエス・キリストを受け入れる時、聖霊が霊のいのちをもたらす。(ヨハネ福音書1:12、3:6、ローマ書8:2)
3. 人生の二つの結果
- あなたはどこで永遠の時間を過ごすのでしょうか?
(1) 神の国で永遠の喜びを享受するのでしょうか?
① この世に臨んだ神の国には恵みと平安がある。(マタイ福音書12:28、ローマ書8:21、4:17)
② 将来来られる神の国では、永遠に神の栄光を賛美する。(ヨハネ福音書14:2-3)
(2) この世と燃える地獄で永遠の苦痛を受けるのか?
① この世の国には平安と喜びはなく、呪いと苦痛だけがある。(マタイ福音書11:28、12:25、使徒行伝8:7-8)
② 将来、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入る。(マタイ福音書25:41、ルカ福音書16:19-26)
*** 永遠のいのちを得る唯一の道はイエス・キリストである(ヨハネ福音書14:6)。- 私たちは、永遠の神の国への道であり、真理であり、いのちであるイエス・キリストを通してのみ、神なる父のもとに行くことができる。イエス・キリストが十字架上で成し遂げられた贖いによって、人々は永遠のいのちを得る。したがって、使徒ペテロは「他の者によって救いを得ることはできない。天の下の人間において、救いを得るにふさわしい他の名を、私たちに与えられたことはない。」(使徒行伝4:12)と言われた。また、使徒パウロも「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」(第一テモテ2:5)と証言した。