キリスト者の熱心
- 詩篇 51:10-15 -
10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
14 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
15 主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。(詩篇 51:10-15)
序言.
+真の熱心: 神への信仰の真の希望である。
真の熱心なこころで神様に仕えた者は、神様に認められた。そしてこの世で神様の願いを行い、神様の御業を完全に成し遂げた。偉大なことを達成した者たちは、あらゆる障害物を乗り越えられる燃えるような熱心[=希望]を持っていた
[ローマ 12:11] 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
本文講解.
詩編51編は、ダビデがバッセバと同寝した後、預言者ナタンの指摘を受けて悔い改め、罪を許される内容だ。- 本文は、罪が許される者に起こることについて語っている。
[エレミヤ 29:11] わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
1。きよい心による「新たな熱心」
- 「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」(詩篇51:10)
+ 神の救いは心の変化、すなわち我々のうちにゆるがない霊を新しくしてくださる。
「ゆるがない霊」という原語(ルアーク·ナコーン)は「堅固な霊」という意味だ。それは意志の新しさを示す。我々は強い意志を持って決心し、義と善を実践しなければならない。
2。聖霊による「聖霊の熱心」
- 「私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。」 (詩篇51:11)
+ ダビデは神の御前から、投げ捨てず、神の聖霊を取り去らないように祈る。
神との交際は聖徒の大きな特権です。しかし、神との交際の断絶は滅亡である。- 罪を犯したサウルは、主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかった(サムエルⅠ 28:6)。
+ ダビデは、神に聖霊を彼から取り去らないように祈る.
聖霊は救主のイエス様を信じる人々と、ともにおられる(ヨハネ福音14:16; ローム8:9)。また、聖霊は神聖なる霊で、我々に聖なる考えと感情と意志を与え、我々の聖なる人生の原動力となる。
3。 救いの喜びによる「喜んで仕える熱心」
- 「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」(詩編51:12)
+ ダビデは神様に救いの喜びを彼に返してくださるように祈る。
罪は我々に心配と悲しみと恐怖を与えたが、罪の贖いは喜びと平安を与える。「16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ第一5:16-18)。「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローム14:17)。
+ ダビデは神様に喜んで仕える霊が、彼をささえますように祈る。
神様は御業を自由に行う主権者であられる。我々は本来、罪の僕だったが、我々に伝えられた神の福音を心から従い、罪から解放され、義の僕となった。したがって、我々は罪の贖いによって自由を得たので、無理やり従う者のようにせず、喜んで仕えるこころで、主の命令を楽しく行なわなければならない。
4。 罪の贖いによる「伝道する熱心」
- 「私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。」 (詩篇51:13)
+ 神様は私たちに主の道を教えさせて、罪人を救わせる。
大きな過ちを経験し、神の恵みによって罪を贖われた聖徒は、自分の経験を他の人たちに裏付けることで、自分のような人たちが悔い改め、神様に戻るように助けることができるでしょう。
5。 罪の贖いによる「誉れを告げる熱心」
- 「... 罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。... 私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。」 (詩編51:14-15)
+ 神様は我らを罪から救って義をくださる.
ダビデは血を流した罪から自分を救ってくださることを求める。彼は忠誠を尽くした臣下のウリアを故意に戦場で死なせた。殺人者や姦淫者は死んで当然の罪人だ。しかし、神はダビデを救ってくださった。我々の救いもそうだった。(ローム3:24; コリントⅠ6:11)
+ ダビデは、神から授けられた義を讃美し、歌い、伝播することを願う。
私たちを神の独子、キリストの贖いによって救ってくださった神の恩は、万を数え口があってもすべて讃美し、感謝できない大きな恵みだ。ここに聖徒の賛美がある。 .
結言
本文は悔い改める信仰者[キリスト者]に生じること[熱心=希望]について語っている
+ きよい心による新たな熱心
神様は私たちにきよい心をくださり、また堅固な霊をくださる。神様は、我々の心を新たにする。
+ 神様との交わりによる熱心.
罪人は本来、神の前に立つことはできないが、神は我々をその前で退けるか、追い出すかしないだろうし、主の霊を我々から退けないだろう。神様は私たちに主と再びそしてずっと交際するようにしてくださるでしょう。
+ 救いの喜びによる熱心
神様は罪が赦された聖徒たちに喜びと平安を与えられるでしょう。罪人には喜びと平安がないが、罪が赦された聖徒には喜びと平安がある。それによって主の道を教え、主の義を讃美し、主の御業を宣べ伝えるようにしてくださるでしょう。