友人のための祈り
- ルカ福音書11:5~8 -
[インマヌエル 下巻.7-30]
[ルカ福音書11:5~8] 「5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』 8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。」
*** イエスは弟子たちに主の祈りを教えた後、続いて、上記の本文の御言葉を言われた。主の祈りが祈りの内容と形式を要約したものなら、この本文の御言葉は私たちが祈るべき理由と方法について教えられたものである。
1. 友人を助ける人
(1) 苦しんでいる友人を助ける人は尊く幸いである。
「5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。」(ルカ福音書11:5~6)
「次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」 (マルコ福音書12:31)
「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」 (ヨハネ福音書15:15)
(2) 福音の働き人に仕え、助ける人は尊ばれる。
① パウロの同労者エパフロデトの美しい信仰
「29 ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。30 なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。」 (ピリピ2:29~30)
② 神がマケドニヤの諸教会に与えた恵み
「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。」(第二コリント8:2)
2. 旅の途中で友人を訪ねて来た人(予想される姿)
(1) 大きな苦しみと心の嘆きを持つ人
「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。」 (第二コリント2:4)
(2) たましいの苦悩の中から嘆き人
「それゆえ、私も自分の口を制することをせず、私の霊の苦しみの中から語り、私のたましいの苦悩の中から嘆きます。」 (ヨブ記7:11)
(3) 世俗的な生活を送る人
「11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」」 (ローマ書3:11~12)
3. 友人のために切に祈る人
(1) 頼み続ける祈りに答えてくださる。
「あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。」(ルカ福音書11:8)
「彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。」 (詩篇91:15)
(2) 叫び求める祈りに答えてくださる。
「そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる。」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き、」 (イザヤ書58:9)
(3) 求める者に与えられる。
「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(ルカ福音書11:9)
(4) 信じて祈り求めるものなら、何でも与えられる。
「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」」(マタイ福音書21:22)
「あなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ福音書11:24)
(5) 御言葉に従って求める祈りはかなえられる。
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ福音書15:7)
◈ 祈った人々
○ アンナ:神殿を離れず断食して祈った。(ルカ福音書2:37)
○ イエス:絶えず神と祈りで交わり、祈りの模範を示された。(ルカ福音書3:21、6:12、9:18、28-29、23:34、46、マルコ福音書14:32-42)
○ パウロ:ダマスコでイエスに出会ったパウロは祈った。(使徒行伝9:11)
○ ペテロ:死んだタビタを生き返らせてほしいと祈った。(使徒行伝9:40)
○ コルネリウス:敬虔な彼は祈りの中で幻を見た。(使徒行伝10:2、30)
*** イエスは「求めよ、探せ、門をたたけ」と言われた。私たちは祈るとき、切に祈らなければならない。切なる祈りは信仰にかなった正しい祈りである。祈りながら落胆せず、なお一層力を尽くして祈り、答えを待ち望むべきである。そして私たちが切に祈るとき、神は私たちに必要なものを与え、良いものを与え、特に神ご自身である聖霊を与えてくださる。聖霊の導きがともにあるなら、私たちのあらゆる問題はすべて解決されたも同然である。
