イエスは誰ですか?
- ルカ福音書20:41~44 -
[インマヌエル 上巻.2-01]
[ルカ福音書20:41-44]「41 すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか。42 ダビデ自身が詩篇の中でこう言っています。『主は私の主に言われた。43 「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい。」』 44 こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」
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イエスは詩篇のダビデの言葉(詩篇110:1)を引用して、キリストはダビデの子孫として来られる方であるだけでなく、ダビデの敬拝の対象となった全能の神であることを証言した。
1. イエスは誰ですか?
(1) 初めに神と共におられ、万物が彼によって造られた。(ヨハネ福音書1:1~3)
(2) 彼の中に命があり、その命は人々の光であった。(ヨハネ福音書1:4)
(3) 御言葉である神が肉となって私たちの中に来られた。(ヨハネ福音書1:14)。
(4) アブラハムとダビデの子孫としてこの地に来られた。(マタイ福音書1:1、ルカ福音書2:11)
(5) ダビデが主と呼んだキリストであった。(ルカ福音書20:41~47)
+ キリストという名前は固有名詞ではなく、職務を表す称号だった。
+ 旧約時代には、王、祭司、預言者などの職務に任命される時に油注ぎを受けた。
+ ダビデの子孫としてメシア(キリスト)が来られ、神は彼を通してイスラエルを救うという期待はユダヤ人の大きな願いだった。(サムエル書下7:11~17、23:1~7、詩篇18:50)
(6) 神が計画された救いを成し遂げるために十字架を背負って死なれた。(ピリピ書2:6~8)
(7) 聖書の預言通り、死んでから3日目に復活し、40日後に昇天された。(1コリント書15:3~4)
2. イエスはご自分についてどのように言われたか?
(1) 「わたしと父は一つです」と言われた。
[ヨハネ福音書10:30~33]「30 わたしと父とは一つです。」 31 ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。32 イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」 33 ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」
(2) 「わたしを見た者は父を見た...」と言われた。
[ヨハネ福音書14:8~9]「8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」 9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。」
(3) 天と地のすべての権威をわたしに与えたからだ」と言われた。
[マタイ福音書28:18]「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」
3. イエスに会った人たちはイエスについてどのように言いましたか?
(1) ペテロ - 「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 (マタイ福音書16:16)
(2) ドマス - 「私の主。私の神。」 (ヨハネ福音書20:28)
(3) パウロ - 「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。...」 (使徒行伝9:4~5)
(4) 十字架につけられるのを見た人たち - 「この方はまことに神の子であった。」 (マタイ福音書27:54)
4. 今日、私たちはどのようにイエス・キリストに会うことができるか?
(1) 主の御名を呼び求めなければならない。
[ローマ書10:13]「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。」
(2) 受け入れなければならない。すなわち、その御名を信じなければならない。
[ヨハネ福音書1:12]「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
[黙示録3:20]「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
[ヨハネ福音書5:24]「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」
(3) 心で信じ、口で告白しなければならない。
[ローマ書10:9~10]「9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」
+ ダビデもこの信仰によつて救われた。(ルカ福音書20:42~43)
+ アブラハムもこの信仰によった救われた。
[ヨハネ福音書8:56]「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」
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*イエス·キリストって誰?:イエスが神なのかどうかがそんなに重要なのですか。イエスが神でなければいけない一番大切な理由は、もし、彼が神でなければ、イエスの死は、全世界の罪を背負うのに十分ではなかったことになります(第一ヨハネ2:2)。神様がだけが、そのような無限の罰を背負うことができるからです(ローマ書5:8、第二コリント書5:21)。
イエスは、私たちの罪を背負うために神でなければいけなかったのです。同時に、イエスは、死ぬために、人間でなければいけなかったのです。救いはイエスへの信仰によってのみ与えられます!イエスの神性は、なぜ、彼が救いのための唯一の道であるかを現しています。イエスは神だからこそ、「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ福音書14:6)と言ったのです。