新約聖書における救い
- Ⅰペテロ書1:8-9 -
[インマヌエル 上巻.1-06]
[1ペテロ書1:8-9]「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」
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*救いの知識を得ることは、聖書を読むことによって可能である。聖書は人々に知恵を与え、キリスト・イエスを信じることによって救いを得ることができる。
1. 救いの意味は、様々な状況の危険からの救いである。
(1) 病気から (マタイ福音書9:22,マタイ福音書5:34,10:52)
(2) 波風から(マタイ福音書14:30)
(3) 死者を生かすことから(ルカ福音書8:50-56)
2. 救いのより重要な意味は、霊的な死からの救いである。
(1) メシアの贖いの死とそれに対する信仰によって、人類が罪による神の裁きから救われることがより明らかに示されている。
+メシアがダビデの家に生まれることは預言者たちによって預言された。(ルカ福音書1:69-70、使徒行伝13:23)
+ユダヤ人がメシアを殺したのも実は預言の成就だった。(使徒行伝13:26-29)
+メシアこそ罪から人を救う唯一のお方である。(マタイ福音書1:21、ルカ福音書1:77、Ⅰテモテ書1:15、Ⅱテモテ書2:10、黙示録7:10)
+人の子(メシア)は、失われた者を見つけて救うためにこの世に来られた。その良い例がザアカイオの救い(ルカ福音書19:9-10)と罪深い女の救い(ルカ福音書7:4-50)に見ることができる。
(2) 人は口でイエスを主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、救われる。(ローマ書10:9)
+人が救い主イエス・キリストを心で信じて義に至り、口で告白して救いに至る。(ローマ書10:10)
+キリストを信じる者には、信仰の結果であるたましいの救いを与える。(1ペテロ書1:9)
+今は恵みの時であり、救いの時である。(Ⅱコリント書6:2)
+世界中でこの御名のほかには、人が救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていない。(使徒行伝4:12)
+この方こそ救いの創始者であり(ヘブライ書2:10)、今は大祭司として、神に近づく人々を救ってくださる方である。(ヘブライ書7:25)
+救いの福音を聞き、それを信じる者は、心に約束の聖霊で満たされる。(エペソ書1:13)
(3) 救いの知識を得ることは、聖書を読むことによって可能である。聖書は人々に知恵を与え、キリスト・イエスを信じることによって救いを得ることができる。(テモテ書2:3,15, ヤコブ書1:21)
+「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」 (ローマ書1:16)
+「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」(1コリント書1:21)。
+パウロを先頭に伝道者たちは、この救いの福音を人々に伝えました。(使徒行伝16:17)
(4) 救いの最終的な実現は、キリストの再臨と神の裁きの時に明らかになる。(ヘブライ書9:28,1ペテロ1:5)
+今は最終的な救いの時がより近づいたので、私たちは眠りから覚めて、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着るべきである。(ローマ書13:11,12)
+救いの業の背後には神の選択がある。(Ⅰテサロニケ書5:9,Ⅱテサロニケ書2:13,Ⅱテモテ書1:9)
+選ばれた者は信仰によって救いの相続人となり(ヘブライ書1:14)、福音にふさわしい生活を送ることが救われた証拠となる。(ピリピ書1:27,28,Ⅰテサロニケ5:8,エペソ書6:17)
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[ヘブライ書10:37-39]「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」