新約聖書における神の国(2/2)
- 使徒行伝1:3、28:30~31 -
[インマヌエル 上巻.1-19]
[使徒行伝1:3]「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」
[使徒行伝28:30-31]「30 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
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1. 使徒行伝
(1) 使徒行伝1:3によると、イエスは復活の後も弟子たちに神の国について教え続けたことが分かる。
(2) 弟子たちは、イエスが教えられた真の意味を知らず、まだ神の国をイスラエルの民族的なカテゴリーで理解しようとしている。(使徒行伝1:6)
(3) 使徒行伝の中には、神の国についての言及はそれほど多く見られないが、使徒たちの宣教において、神の国がその中心的な主題であったことは明らかである。
(4) 使徒行伝8:12には、サマリヤの町でピリポは「神の国とイエス・キリストの御名について」宣べたと書かれている。
(5) 使徒行伝19:8,20:25,28:23,31は、パウロの宣教の中心も神の国に関することであったと書かれている。
(6) 使徒行伝14:22では、パウロは神の国の未来的な面を強調し、神の国は多くの苦難の後に来ると語っている。
2. パウロの手紙
(1) パウロは、神の国は現在的な面と未来的な面の両面を持つと言った。
+ 未来的な面に関する言及としては、Ⅰコリント書6:9, 10, 15:50、ガラテヤ書5:21、エペソ書5:5、Ⅰテサロニケ書2:12、Ⅱテサロニケ書1:5、Ⅱテモテ書4:1, 18などを挙げることができる。
ⓐ 不義な生活をしている者は神の国に入ることができないと言い、倫理的、道徳的な面を強調している。(1コリント書6:9, 10、ガラテヤ書5:21、エペソ書5:5)
ⓑ 神の国に入るためには相応しい生活があり(Ⅰテサロニケ書2:12)、苦難(Ⅱテサロニケ書1:5)と裁きを通して入る(Ⅱテモテ書4:1,8)。
+ 現在的な面に関する言及としては、コロサイ書1:13、ローマ書14:17、1コリント書4:20などを挙げることができる。
ⓐ 神は私たちをサタンの支配の下から救い、キリストの支配の下に入れるようにしてくださった。(コロサイ書1:13)
ⓑ 神の国は「義と平和と聖霊による喜び」(ローマ書14:17)であり、神の力が働くところである。(1コリント書4:20)
(2) パウロは神の国をキリストと父なる神を関連づけて語っている。
+ エペソ書5:5には、「the kingdom of Christ and God)」とあり、神の国は父なる神のものであり、同時にキリストのものであると述べている。
+ Ⅰコリント書15:24には、キリストが終末の完成の時には、その国を神に捧げると言っている。
+ コロサイ書1:13の御言葉と関連づけて考えると、神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中にあることになる。
3. その他の手紙
- その他の書簡には、神の国についての言及はそれほど多くない。
(1) ヘブライ書1:8は詩篇45:6の引用であり、メシアの王権について言及している。
(2) ヘブライ書12:28には、「私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから」とある。
(3) ヤコブ書2:5には、マタイ福音書5:3,ルカ福音書6:20と同じ信仰を示している。
(4) Ⅱペテロ書1:11には、「このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国にはいる恵みを豊かに加えられるのです。」と書かれている。
4. ヨハネの黙示録
- 終末における神の国の究極の完成への過程を示している。
(1) キリストが支配する神の国が地上に実現する。
+ 神の力とサタンの力との戦いは激しく、教会は苦難と殉教を受ける。
+ キリストの再臨によって、神の力は完全な勝利を得る。
+ サタンは千年の間、地下牢に閉じ込められ、その後、最後の審判が行われる。
+ サタンとその支配下にある者は、火と硫黄の池に投げ込まれ、永遠に滅ぼされる。
(2) キリストによって救われた者は、来るべき世において永遠の祝福を受ける。
+ これが終末における神の国の完成である。
+ このように、黙示録自体が神の国について語っていると言える。
(3) 神の国に対する直接的な言及は黙示録1:9,11:15,12:10に見ることができる。
+ 黙示録1:9にはヨハネが自分を「エスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者」と語っていることから、神の国の現在的な祝福を指していると考えられる。
+ 黙示録11:15は未来における神の国を言及しており、黙示録12:10にも未来における神とキリストのサタンに対する勝利について言及している。