熱心に祈った人々
- 使徒行伝1:12~14
[インマヌエル 下巻.7-27]
[使徒行伝1:12~14] 「12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。13 彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」
1. 聖徒たちへのパウロの勧め(ローマ書15:30~33)
「30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。」(ローマ15:30-33)
2. 熱心に祈った人々(祈り①とその答え②)
(1) イエス・キリスト
① 「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」 (ルカ福音書22:44)
② 「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」 (ヘブル書5:7)
(2) モーセ
① 「15 主はモーセに仰せられた。「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。16 あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。」 (出エジプト記14:15~16)
② 「そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。」(出エジプト記14:21)
(3) ダビデ
① 「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」(詩篇63:1)
② 「あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。」(詩篇63:7)
(4) エリヤ
① 「42 そこで、アハブは飲み食いするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。43 それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません。」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」」 (列王記上18:42~43)
② 「45 しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。46 主の手がエリヤの上に下ったので、彼は腰をからげてイズレエルの入口までアハブの前を走って行った。」 (列王記上18:45~46) < ヤコブ書5:17)
(5) ハンナ
① 「10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。11 そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」」(サムエル記上1:10~11)
② 「日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから。」と言って、その名をサムエルと呼んだ。」(サムエル記上1:20)
(6) ペテロ
① 「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」(使徒行伝12:5)
② 「ペテロはたたき続けていた。彼らが門を開けると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。」(使徒行伝12:16)
(7) イエスの弟子たち
① 「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(使徒行伝1:14)
② 「2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒行伝2:2~4)
(8) ひとりのらい病人
① 「ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」 (マタイ福音書8:2)
② 「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。」 (マタイ福音書8:3)
◈ 心とは?
「心」と訳されたギリシャ語「カルディア」(καρδιά)は新約聖書で計157回使用され、内的な自我を指し、時には人称代名詞のように用いられ(マタイ福音書9:3; 第二コリント2:1)、「私」を指すこともあった(第一ペトロ3:4)。また、生まれ変わる前の人間の心は、罪が住み支配する場所のように描写された。一方、人の心を探られる(ローマ書8:27)神が人間を新しくする働きを始められる場所も心である(ローマ書10:10)。人の心は、神が御言葉を聞かせてくださるとき(使徒行伝16:14)、光を心に照らしてくださるとき(第二コリント4:6)に信仰を持つことができる。さらに人の心は、従順によって信仰があることを示し(ローマ書6:17)、神の御言葉を良い心で聞いて守り、忍耐をもって実を結ぶ(ルカ福音書8:15)こともある。