救いの意味と時制
- 第一ペテロ1:8~9 -
[インマヌエル 上巻.2-14]
[第一ペテロ1:8~9] 「8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」
++ 神がこの世に対して行う二つの創造がある。その一つは天地創造であり、もう一つは罪人となった人間を救う新しい創造である。聖書の主題は、神がイエス・キリストを通して人間の救いを成し遂げる御業である。
1. 救いの意味
(1) 旧約聖書における意味は、悪と困難から生じる危険から救い出すこと、解放させることである。
① 苦しみから(詩篇1:15,イザヤ書33:2)
② 悪人から(詩篇119:123,140:7)
③ 敵や憎む者から(第一サムエル2:1,詩篇3:7,8,9:14)
④ 迫害者から(第一サムエル14:45,詩篇119:166)
(2) 新約聖書における意味は、様々な状況の危険から救うことであり、基本的には肉体的な死から救うことである。
- 救いとは、罪と罪で死んだ私たちを死から救い出し、神の力によって保護し、悪に陥らないように守ってくださることをいう。(エペソ書2:1、第一ペテロ1:5、第一ヨハネ5:18、ユダヤ書1:24、ヨハネ福音書18:15、マタイ福音書1:18、ルカ福音書1:68)
① 病気から(マタイ福音書9:22、マルコ福音書5:34、10:52)
② 嵐から(マタイ福音書14:30)
③ 十字架上の死から(マタイ福音書2:40~49,ヨハネ福音書12:27)
④ 死者を生き返らせることで(ルカ福音書8:50
2. 救いの時制
- 一般的に救いといえば単に未来的な霊的救いだけを考えがちだが、ここでは救いの時制を区分して考えてみることにする。
(1) 過去の救い - 罪からの解放
① 「私たちは、この望みによって救われている」(ローマ書8:24)という表現を通して、救いがキリストが完成した救いの御業に基づいた過去のことである。
② キリストの救いの御業は、私たちの行ないにかかわらず別々に行われた御業である。
③ したがって、私たちの救いは、キリストの御業がなければ成就することができない。(ヨハネ福音書3:36、5:24、6:47、エペソ書2:1~8、ヨハネ福音書17:2、第一テモテ1:15、第二テモテ1:9、テトス3:5、第一テサロニケ5:9、使徒行伝4:12、第一テモテ2:5)
(2) 現在の救い - 聖化
① 「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。(第一コリント15:2)」という御言葉は、キリストの中で救いが現在持続していることを明らかにしている。
② わたしたちは、キリストの中で「罪から解放され(ローマ書6:22)」、「罪と死の法から解放され(ローマ書8:3)」、「暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移された。(コロサイ書1:13)」
③ したがって、キリストの中で古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着て聖霊の実を結んで生きていく現在の人生である。(エペソ書4:22~24、第二コリント5:17、ガラテア書5:22-23、ローマ書6:12、ピリピ書2:12、第一ペテロ2:2)
(3) 未来の救い - 榮化
① 救いは将来の希望である。キリストの中で、聖徒たちは現在の救いを味わいながら、将来の完成を望むのである。
② 「彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです(ローマ書5:9)」、この御言葉はキリストの再臨を通して完全に成し遂げられるだろう。(第一ペテロ1:5)
③ したがって、私たちの救いは、その性格上、キリストの再臨を待つ中で日々完成していく終末論的なものである。(ローマ書13:11,第二テモテ4:8,黙示録12:10,ローマ書8:29,第一コリント15:49,ピリピ書1:6,3:20~21)
++ 旧約聖書、新約聖書における「救い」とは、この世界における肉体的な救いと共に、来るべき神の裁きからの霊的な救いを意味している。アダムとエバの堕落以降、神はメシアによる人類救いの御計画を続けて啓示された。
旧約時代の人々は動物の血を流しながら、来るべきメシヤを信じて救われた。そして、新約時代の私たちは、すでに来られたイエス・キリストを信じて罪を赦され、来るべき神の裁きから救われる。したがって、どの時代の人でも救いは必ずイエス・キリストによって可能なのである。