聖書勉強の方法
- 第二テモテ3:16-17 -
[インマヌエル 上巻.1-36]
[第二テモテ3:16-17] 「16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」
+ 聖書を勉強する時は、謙虚な心と姿勢を持って勉強しなければならない。なぜなら、すべての聖書は神の感動で書かれた神の御言葉だからである。(本文)
1. 聖書をよく読まなければならない。
(1) 基本的に最も重要なことは、聖霊の助けを祈りながら聖書を読むことである。
- 神の感動で記録された聖書を通して人に語られるので、神の御言葉を聞く姿勢で祈りながら聖書を読まなければならない。(本文、ヨハネ福音書14:26)
(2) 聖書そのものをよく読むことによって、私たちは聖書の全体像を把握することができる。
- 聖書は、イエス・キリストによってすべての人を救われる神の御業の計画図であり、その計画が実行されている記録である。
(3) 聖書そのものをよく読むことで、文脈を正しく把握することができる。
- 聖書の中で文脈を無視して正しく理解することは難しい。したがって、一つの御言葉を正しく理解するためには、その前後を読むことを怠ってはならない。
2. 聖書とそれに関わることをよく調べなければならない。
(1) 聖書を勉強するために次に留意すべきことは、よく調べることである。(使徒行伝17:11)
- 私たちの身近にある辞書、注解書、解説書などでより深く理解することができる。
(2) 地理的または歴史的状況やその時代の背景や風習などを参考書を用いて調査する。
- 聖書の背景を調べることは重要な勉強である。そこに記されている事実そのものを理解することが必要である。
(3) 一つ一つの御言葉の意味を調べる(できれば原語の意味も)。
- 一つのフレーズの意味を調べ、一つの文章の内容を調べ、一つの文章の文体を調べるなどの作業を続けながら、そこにある神のメッセージを把握する。
3. 聖書を信仰と生活に適用する。
(1) 聖書を勉強することは、単に学問的なことに留まってはならない。
- 聖書の御言葉は、私たちの信仰や生活に生命力を与えるために与えられたものである。(詩篇119:105、マルコ福音書4:14、ヘブライ書4:12)
(2) 神の御言葉は何に適用できるのか?
- 聖書の御言葉が答えを与えない問題はない。(自分と神との関係、人との関係、結婚、家庭、健康、金銭、死と永遠に関わることまで)
(3) 自分自身に対する神のメッセージは何かということを常に把握する必要がある。
4. 他に留意すべきことがある。
(1) 聖書を学びながら心に留めておくべき第一のことは、常に先入観を持たないことである。
(2) 先入観を持たないためには挿入した文章や下線がない聖書を手元に置いておくのが良い。
(3) 一般常識と思われる聖書の知識でも、一度は自分で調べてみる必要がある。
(4) 周りにある数冊の他の翻訳聖書を読んで比較してみるのも大きな楽しみとなる。
(5) 失ってはならない最も重要なことは、聖書を勉強する目的は、神の御言葉を聞き、その御言葉に従って生きるためであるという事実です。(ヨハネ福音書4:21、第二ペテロ1:20-21、3:16、サムエル上3:9)
+ 私たちは聖書を昼夜を問わず読み、聞き、学び、黙想しなければならない。それが神の御心である。聖書を昼夜を問わず読み、聞き、学び、黙想する者は、教理的にも倫理的にも正しい者となるだろう。
主イエス・キリストを信じる者は、すでに義とされることを得た。これが稱義であり、法的な義である。しかし、神の御心は、私たちが実際的にも正しい人格になり、正しい人生を生きる者になることを望んでおられる。これが聖化である。聖霊はこの働きのために私たちの中に来られ、宿っておられる。
[ガラテヤ書5:16] 「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」
[ヨハネ福音書14:21] 「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」