新しく生まれなければ
- ヨハネ福音書3:3~5 -
[インマヌエル 上卷.2-12]
[ヨハネ3:3] 「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」
++ 人間は罪過の中に死んでいた存在である。従って、人間は新しいいのちを得なければならないが、そのいのちは新しく生まれることによって与えられるのである。本文のニゴデモは深い苦悩の中で夜にイエスを訪ねてきた。その時、イエスは彼の相談に応えてくださった。
1. 「人は、新しく生まれる」の意味
(1) 「新しく生まれる」ことは、人の中に新しいいのちを与える神の直接的な御業である。(ヨハネ福音書3:3~5)
(2) 人が「新しく生まれる」ことは、完全に受動的である。(第一ペテロ1:3、エペソ書2:5、コロサイ書2:13、ヨハネ福音書5:21、ローマ書6:13、エペソ書6:17)
[第一ペテロ1;3] 「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」
[エペソ書2:5] 「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―」
(3) 「新しく生まれる」ことは、罪過の中に死んでいた人を救う神の新しい創造の御業である。(エペソ書2:1、第二コリント5:17)
[第二コリント5:17] 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
2. 「新しく生まれる」人の人格
(1) 根本的な変化 : 新しい霊的ないのちが与えられ、人格(知・情・義)まで新しくなる。
(2) 忽然的変化 : 瞬間的変化として自分が意識せず、変化してから初めて意識するようになる。新しく生まれるのは、聖霊の力によってなされることである。(ヨハネ福音書3:5)
3. 「新しく生まれる」人の影響(人格の変化)
(1) 知識の変化 (第一コリント2:14、第二コリント4:6、コロサイ書3:10)
- 「新しく生まれる」人間は、聖霊の働きを悟ることができ、信じられるようになる。
[第一コリント2:14] 「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」
(2) 感情の変化 (詩篇42:1、マタイ福音書5:4、第一ペテロ1:8)
- 「新しく生まれる」人間は、霊的ないのちの所有者として地上のものより上のもの、神聖なものをさらに慕いあえぐようになる。
[詩篇42:1] 「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」
(3) 意志の変化 (詩篇110:3、第二テサロニケ3:5、ヘブライ書13:2)
- 「新しく生まれる」人間は、人生の姿勢が変わり、主のために献身するようになる。人生の意志と姿勢が変わる。
[詩篇110:3] 「あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。」
4. 「新しく生まれる」人の結果
(1) 信仰を与えられる。
① 信仰によって救われ、神の子となる。(エペソ書2:8、ヨハネ福音書1:12)
② 信仰によって世に勝ち、患難に勝利する。(第一ヨハネ5:1、第一ペテロ1:5)
(2) 希望を持つ。
① 天国の望みを持たせる。(第一ペテロ1:3)
② 望みを通じた救いが成就される。(ローマ書8:24)
(3) 愛を実践する。
① 愛を実践する力を与えられる。(第一ヨハネ4:7)
(4) 恵みが臨む。
① 神聖な恵みを継続的に供給される。(第一コリント15:10)
(5) 義を実践する。
① 正しい生活と行ないが伴う。(第一ヨハネ2:29)
(6) 勝利の人生を生きる。
① 新しい権能が与えられ、暗闇の勢力と戦って勝利する。(第一ヨハネ5:4、ヨハネ福音書16:33)
++ イエスは、ニゴデモの不足をご存じの上で、「新しく生まれる」ことについて言われた。イエスはまず、「新しく生まれる」ことの必要性について言われた。すべての人に「新しく生まれる」ことが必要である。それは、すべての人が罪によって霊的に死んだ状態にあるからである。したがって、人が霊的に新しく生まれなければ、彼は天国を見ることができない。人が新しく生まれなければ、神の国を見ることができず、神の国に入ることができない(本文)。アダムとエバは罪を犯したことでエデンの園から追い出された(創世記3:24)。したがって、人が罪人のままでは神の国に入ることができないのは当然である。罪人は天国に入ることができない。
[第一コリント6:9~10] 「9 あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、10 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。」