私のためのイエス様の苦難
- イザヤ53:1-6 -
「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわた したちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えら れ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(イザヤ53:5)
イエス․キリストは私たち(私)のために苦難を受けられた。私たちにある平安はキリ ストの苦難によって与えられる神様の贈物である。しかし、以前私たちはその神様の恵 みと愛を知らなかった。
1. 私たちは偽りを言う者(サタン)にだまされていた。<参考; コロサ2:8, 創3:1-6>
「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。」(コロサ2:8)
⑴ 私たちはその方を信じなかった。(イザヤ53:1-3)
「…彼は軽蔑され、…わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」(イザヤ53:1-3)
⑵ 私たちはその方について正しく理解しなかった。(イザヤ53:4)
「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、 わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、 と。」(イザヤ53:4)
- イエス様の苦難の意味を正しく理解しなければ、正しい信仰を持つ事はできない。
* 「なぜ多くの人たちが福音を信じないのか?」という質問にJ.ウィトンは次のように答えた。
① 自分を過大評価し、高慢になっているから。
② 世の誘惑と欲望に陥っているから。
③ 罪(悪魔)の奴隷となっているから。
* ダグラス․パーキンスの書物に『悪魔の八福』というものがある。<参照; ヨハネ8:44>
① 疲れている、忙しいという理由で教会に行かない者は幸いである。彼らは私(悪魔)の最も信頼する働き人になる。
② 牧会者の咎や過ちをあれやこれや言う者は幸いである。彼らは説教を聞いても恵みに預れないだろう。
③ 自分の教会でありながら、勧められなければ出て來ない者は幸いである。彼らは私(悪魔)のだます言葉によく誘惑されるであろう。
④ 他人話をよくする人は幸いである。彼らは私(悪魔)が好きな喧嘩と争いを起こす。
⑤ 何かあれば不満を言う者は幸いである。彼らはちょっとした事にも腹を立て,教会に來なくなるだろう。
⑥ 神様に不承不承で献金しない者は幸いである。彼らは私(悪魔)の仕事を最もよく手伝うであろう。
⑦ 神様を愛していると言いながら、自分の兄弟や隣人を憎む者は幸いである。彼らは私(悪魔)の永遠の友人となる。
⑧ 聖書を読み祈る時間のない者は幸いである。彼らは私(悪魔)の誘惑に簡単にだまされるだろう。結局は多くの人に恥を受けるだろう。
* イエス様は弟子たちに本当の幸せについて教えた。<参照; マタイ5:1-12>
2. 神様は私たちに事実を知らせてくださった。
⑴ イエス様が遭われた苦難は私たちのためのものであった。(イザヤ53:5) <参照; Ⅰペトロ2:24>
①「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり」
②「彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。」
③「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ」
④「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
⑵ イエス様は私たちの罪悪お担われた。(イザヤ53:6) <参照; Ⅰペトロ2:25, Ⅱコリン5:21>
①「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。」
②「そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。」
これから,私たちのためであったイエス様の苦難について良く知ろう。そして,その恵 みと愛について心から感謝しよう。キリストの弟子として苦難に耐え,信仰と愛と希望 を持って生きて行こう。<参照; マタイ16:24,ルカ22:28-30,Ⅰテサロ1:3-4>
「弟子たちに言われた。わたしについて來たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16:24)