福音の働き人の目標
- エペソ書4:11~13 -
[インマヌエル 下巻.8-06]
[エペソ書4:11~13] 「11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
*** 聖徒は神の召しに対する希望を持ち、一粒の麦のように(ヨハネ12:23~24)多くの実を結ぶ良き働き人となるべきである。
* では聖徒はどのような目標を持って働くべきか?
1. キリストの満ち満ちた身たけにまで達しなければならない。(エペソ書4:13)
(1) 聖徒は新しい神の御姿を得たので、今やキリストに似ていく。
(2) イエスの人格はまことに高貴である。ゆえに私たちの憧れの対象である。
- 謙遜であり、犠牲のいけにえとなられ(ピリピ書2:6~8)、柔和であり(マタイ福音書11:29)、恵みと真理に満ちた方である(ヨハネ福音書1:14)。
(3) イエスに似ることは、イエスのあふれんばかりの信仰の人格を成熟させることであり(エペソ4:13)、働き手の目標もここに置くべきである。
2. 聖徒たちを整えていなければならない。(エペソ書4:12)
(1) 「整える」という原文の意味は、「折れた骨を接合したり、裂けた網を修理する。あるいは犯罪者を正しく捕らえる」という意味である。
① 私たちの周りには、信仰的に自力で立ち上がれない者たちがいる。
② 時には、道を踏み外し、真理から離れた者たちもいる。
③ 心に深い傷を負った者もいる。
(2) 聖徒となった私たちは、自分より劣る者を支え、落胆した者を励まさなければならない。
「兄弟たちよ、あなたがたに勧めます。秩序のない者を戒め、心の弱い者を慰め、力のない者を支え、すべての人に対して忍耐強くあれ。」 (第一テサロニケ5:14)
① 教会にはさまざまな階層の人々がいる。
② 信仰の状態が一定せず、葛藤を経験している者たちもいる。
(3) 他者に常に善を追うようにし、助けを与える者となるべきである。<第三ヨハネ1:9~11>
「だれも、だれに対しても、悪をもって悪に報いようとしてはならない。むしろ、互いに、またすべての人に対して、常に善を追うようにしなさい。」(第一テサロニケ5:15)
3. 奉仕の働きをさせ、神の御心が実現されるようにすべきである。(エペソ書4:12)
(1) 神は恵みを与え、またたまものも与えてくださった。たまものによる勤めは多様である。(ローマ書12:3~8、エペソ書4:11)
(2) 聖徒の勤めは、他者に仕え、神のために働くことであり、それ以上でも以下でもない。
(3) 今、私たちはどのような姿勢で奉仕しているのか?
① 主人の姿勢で働いているのか、しもべの姿勢で働いているのか、明確にすべきである。
② 奉仕する際、自分のもので行っていると誤解してはならない。
③ ただ主のものを預かって用いているに過ぎないことを知るべきである。(第一ペテロ4:11)
(4) 私たちを通して神の御心を現し、イエスの姿を示すべきである。(マルコ福音書10:45)
- クリミア戦争時、ナイチンゲールは女性の身でありながら戦場で血を流し呻く兵士たちを看護した。触れてやり、膿を絞り、治療した。その時、ある患者がナイチンゲールを見て「あなたこそまさにイエスです」と言った。
4. キリストのからだを建て上げるべきである。(エペソ書4:12)
(1) キリストが私たちを贖い、聖霊がさまざまなたまものを与えられた目的は、これを通して教会に仕え、成長させ、聖徒たちに仕えさせるためである。
(2) 教会の本質は、贖われた聖徒一人一人が教会であり、彼らが集まって共同体としての教会となったことである。
(3) 私たちはそれぞれのたまものに従って忠実に、キリストのからだである教会が成長する上で一役担う聖徒とならなければならない。
(4) 一度きりの人生を神の教会のために忠実に生き、称賛される聖徒とならなければならない。(マタイ福音書25:21~23)
*** 聖徒が存在する意味は、神に栄光を帰することにある。聖徒の奉仕と忠誠は、ただ神のみに帰されなければならない。神に栄光を帰することは、人間創造の目的であり(イザヤ書43:21)、救いのための選びの目的(エペソ書1:4~6)であり、力を与え、勤めを与えて忠実にさせることも(第一ペテロ4:9~11)、神の栄光のためである。
