信仰による決断
- ミカ7:1-10 -
「わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても、主こそわが光。」 (ミカ7:7-8)
聖徒はこの世界にある神の御心を分別することはとても重要である。なぜなら、聖徒はこの世と友になってはいけないし、またこの世を離れても生きられないからである。それゆえに、私たちはこの世の事情をよく知り、正しく分別しなければならない。また、この世で私たちがすべき事と、神様が私たちのために行われる事についてよく理解 し、その御心に従順しなければならない。
1. この世はどうなのか?(ミカ7:2-6, 本文)
⑴ 善人を受け入れない。
⑵ 正直者はいない。
⑶ 血を流そうとして待ち伏せする。
⑷ 兄弟を捕らえようとして網を仕掛ける。
⑸ 両手で悪を行う。
⑹ 支配階級の人は賄賂を要求する。
⑺ お金持ちたちは行樂に陶酔する。
⑻ 隣人、友人、家族を信じられない。
- 私たちは今、隣人、友人を信じられない、一緒に住んでいる妻、夫さえ信じられない、不信の時代に生きている。それで本文(ミカ7:1)にはこの世についての表現で、「実はなくいちじくもない」と言っている。<参照; ローマ3:10-18>
「悲しいかな、わたしは夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく、わたしの好む初なりのいちじくもない。」 (ミカ7:1)
2. わたしたちのために神様は何をしておられるのか? (ミカ7:8-10, 本文)
⑴ 私たちが倒れても私たちを起き上がらせてくださる。
「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。」(ミカ7:8)
⑵ 私たちが闇の中に座っていても私たちの光になってくださる。
「…たとえ闇の中に座っていても、主こそわが光。」 (ミカ7:8)
⑶ 私たちを導いて光に至らせ、主の義を見せてくださる。
「…主がわたしの訴えを取り上げ、わたしの求めを実現されるまで。主はわたしを光に導かれ、わたしは主の恵みの御業を見る。」 (ミカ7:9)
⑷ 私たちの敵を恥に覆わせ、路上の泥のように踏みつけられる。
「…敵は、このことを見て恥に覆われる。わたしの目はこの様を見る。今や、敵は路上の泥のように踏みつけられる。」 (ミカ7:10)
3. 私たちはこの世で何をすべきなのか? (ミカ7:7, 本文)
⑴ 神を仰ぎ、忍耐しよう。<参照; マタイ10:22, ヤコブ1:12>
「わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。」 (ミカ7:7)
⑵ この世にならわず神の御心に従って生きよう。
「… わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝 する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいればつきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。…外部の人々は神が お裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」 (Ⅰコリン5:10-13)
⑶ この世に福音を伝えよう。 <参照; Ⅱテモテ4:2>
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」 (マルコ16:15)
⑷ 神の国のために生きよう。
「神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」 (ルカ18:29-30)
⑸ イエス․キリストの十字架を誇ろう。 <参照; ガラテ6:14>
「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」 (マルコ8:34)
私たちは闇の世に光の子として生きながら、神の国と義を伝えよう。私たちは「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマ12:2)」というパウロの言葉を実践しよう。