病気に対するイエスの力と権威
- ルカ8:4348 -
ルカによる福音書8:22-56には、自然界(22-25)、悪霊(26-39)、病気(40-48)、そして死の世界(49-56)に対するメシヤとしてのイエスの力(46)と権威が描かれる.
このようなイエスの力と権威は、「いったいこの方はどういう方なのだろう」(25) という隠されたメシヤ(56)の正体のなぞに対する解答である
「ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。この女が近寄って來て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。
イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。
女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(ルカ8:4348)
1.出血の続く婦人病をいやすイエスの力と権威。
⑴ 出血の続く婦人は、様々な治療に財産を投入し,しかも病状は悪化の一途という,気の毒な女性であった.
⑵ 病が血に関するものなので,彼女は汚れていると見なされ,町に出入りすることを禁じられたと思われる.(レビ15:2533)
⑶ イエスのことを聞き付けた女は,群衆に紛れて後ろからイエスの衣に触った.途端に,血の源がかれて,痛みが取り去られた。
「お着物にさわることでもできれば,きっと直る」(マルコ5:28)という強い確信が、神の御手を動かした.
⑷ 力が出て行ったことに気付いたイエスは,「わたしに触れたのはだれか」と見回された.イエスは、顔を合せる個人的な接触を望んでおられた.
⑸ 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。
⑹ 主は何とも優しく声をかけて,彼女の信仰を評価された.「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と、
イエスはこの女性に,いやし,救い,祝福を約束している。「安心して」は〈へ〉シャ-ロ-ム(平安)の意味で、全人的な祝福の約束である.
2.聖書で教えられている病気からの解放
⑴ 聖書では、病気は神御自身の支配の御手の中にあると教えられている.
病気からの完全な解放は,神のしもべ(イエス・キリスト)が負う(イザヤ53:4-5,Ⅰペテロ 2:24)ことと,新天新地の約束(エゼキ47:3-12,黙22:1-2)の中にのみ啓示されている.
⑵ 今日では医学の知識が急速に発達し,治療技術も目覚しい発達を遂げている.
巨大化した治療技術が絶対視され,現代の神々の位置を占めている.しかし病気に対処する有効な手段はあっても,病気そのものを人は支配することはできない.
⑶ 今日においてもなお病気という困難な問題は,肉体的にも精神的にも,そして社会的にも,神と,そしてキリストとの関係の中で考えなければならない課題である.