イエス様の願い
- ルカ15:1-7 -
「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカ15:7)
賢く正しく生きようと努力することは重要であるが、それよりも重要なのは、神の関心はどこにあり,神が我々に何を望んでいるのかを正しく知ることである。(箴16:2)
1. 良い羊飼いであるイエス様
⑴ イエス様は「わたしは良い羊飼いである」と言われた。
①「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。… わたしは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:14-15)
②「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9:36)
③「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれ ば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」(ルカ15:4)
④「見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(ルカ15:5-6)
2. 羊飼いを失った羊の姿 (神様を離れた人間の姿)
⑴ 罪によって神の栄光を受けることが出來なくなった。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、」(ローマ3:23)
⑵ サタンに従ってこの世の慣わしに従って生きると滅ぶ。
「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に 今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。」(エペソ2:2)
⑶ 病気になり、悪霊に苦しみ、悪霊を拝むこともある。
「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて來た。イエスは言葉で悪 霊を追い出し、病人を皆いやされた。」(マタイ8:16)
「偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。」(1コリン10:20)
⑷ 飼い主のいない羊のように苦勞し、さまよう。
「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐 れまれた。」(マタイ9:36)
⑸ この世を離れると、地獄の炎の中に陥る。
「金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたし を憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』」(ルカ16:23-24)
3. 我が主であるイエス様の願い
⑴ 罪人の我々を救おうとされた。
「人の子は、失われたものを捜して救うために來たのである。」(ルカ19:10)
「わたしが來たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2:17)
⑵ 御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあら ゆる病気や患いをいやされた。」(マタイ9:35)
⑶ 宣教という手段によって信じる者を救おうと、お考えになった
「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなってい ます。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えに なったのです。」(1コリン1:21)
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わ りまで、
⑷ 御自分の栄光を、我々に見せようとされた。
「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光 を、彼らに見せるためです。」(ヨハネ17:24)