イエスの栄光の姿
マタイ17:18 -
「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合ってい た。」(マタイ17:13)
イエス․キリストが山の上で栄光の姿に変った出來事は,マタイ17:1-8,マルコ9:2-8, ルカ9:28-36に記され,ペテロもⅡペテロ1:16-18で言及している.
-「わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエス は父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。」(Ⅱペテロ1:16-18)
1.高い山の上での出來事
⑴ イエス․キリストが山の上で栄光の姿に変った.
-「イエスは弟子たちの目の前で,姿が変り,顔はまぶしく光り輝き,着ていたまで白く光った.」
⑵ モーセとエリヤが現れイエスと語り合った.
-「栄光のうちに現われて,イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期 についていっしょに話していた」(ルカ9:31)
① イエスとモーセ,エリヤを包んだ「光り輝く雲」は神の臨在を表す.(出40:35)
② 「ご最期」という語は,出エジプト記のギリシヤ語名と同じ「エクソドス」である.
⑶ ペトロが口をはさんでイエスに言った。
-「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセ のため、もう一つはエリヤのためです。」
① ペテロの提案は,受難予告の直後にイエスの栄光を見て感動した彼の,ここにとどまりたいという思い付きであろう.
⑷ 天からの声が雲の中から聞こえた。
-「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」
① 天からの声の前半は受洗の際の声(マタイ3:17)と全く同じである.
②「これに聞け」は,イエスが苦難にあってもメシヤであることに変りはなく,彼に聞き従うようにと命じるものである。
⑸ イエスが3人の弟子に命じられた.
-「人の子が死人の中からよみがえるときまでは,いま見た幻をだれにも話してはならない」(マタイ17:9,マルコ9:9)
2.この出來事が弟子たちに示されたのはどういう意味を持っていたのであろうか.
⑴ イエスはエルサレムでの身代りの苦しみと死をさらに確かな使命とされただけでなく(參照; マタイ16:21),その時が近いことをも確認された.
⑵ イエスの使命は,律法(モーセ)と預言(エリヤ)を成就することであり,それは小羊の死による第2の出エジプトによって完成するものであることを弟子たちに示す出 來事でもあった.
⑶ イエスは,モーセ,エリヤ,そして父なる神からの励ましを受け,エルサレムに向かって力強く歩みを進められた.
⑷ イエスに与えられた勝利と使命遂行の確信は,父なる神の御旨への全き服従となって積極的に十字架の恥をも引き受けるのである.(ピリピ2:6-8,ヘブラ12:2)
-「キリストは、… 人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架 の死に至るまで従順でした。」(ピリピ2:6-8)
⑸ 弟子たちにとって,また私たちにとって,モーセとエリヤの出現は,永遠のいのちを具体的に示す例であり,イエスの死と复活は,私たちもそのいのちにあずかれることを保証するものである.
⑹ イエスの変貌の出來事は,イエスの生涯においてだけでなく,クリスチャンの生涯における変貌ともかかわりを持っていると言えよう.(Ⅱコリン3:18,ローマ12:2)
-「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。」(Ⅱコリン3:18)