洗礼の意味
- マタイ福音書3:13~17 -
[インマヌエル 上巻.4-14]
[マタイ福音書3:13~17] 「13 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」 15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
*** 洗礼(バプテスマ)は、父、子、聖霊の御名によって授けられる罪を清める儀式である。この儀式はイエスが命じられたものである(マタイ福音書28:19)。またイエスは、水で洗礼を受けた者に対して聖霊で洗礼を授けると言われた(使徒行伝1:5)。
1. 洗礼の制定者
(1) ヨハネが授けた洗礼
- 神の指示に従って授けた。(ヨハネ福音書1:33、マルコ福音書11:30、ルカ福音書7:30)
「私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』」(ヨハネ福音書1:33)
+ ヨハネが授けた洗礼は、主の道をまっすぐにすることでした。(ヨハネ福音書1:23、イザヤ書40:3、ルカ福音書3:4)
「彼は言った。私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」(ヨハネ福音書1:23)
+ カルヴァンは、ヨハネが授けた洗礼とイエスが命じた洗礼は本質的に同じものであると述べた。
(2) イエスが命じた洗礼
- 父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けた。(マタイ福音書28:19)
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」(マタイ福音書28:19)
2. 洗礼の意味
(1) 罪を赦していただき、賜物として聖霊を受ける。(使徒行伝2:38、22:16)
「そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使徒行伝2:38)
「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」(使徒行伝22:16)
+ 洗礼の水はキリストの血を象徴する。すなわち、十字架で流されたキリストの血が人間の罪を洗い流すという意味である。
(2) イエス・キリストの死と復活につぎ合わされる者となる。(ローマ書6:4-5、ガラテヤ書3:27)
「4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ書6:4~5)
「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ書3:27)
(3) 洗礼は根本的に神に属するものである。
+ 洗礼は父、子、聖霊の御名によって授ける。(マタイ福音書28:19)
+ 神は聖霊によって洗礼を授ける。(使徒行伝1:4-5、マルコ福音書1:8、第二コリント1:22)
「4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」(使徒行伝1:4~5)
「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」(マルコ福音書1:8)
「神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」(第二コリント1:22)
+ <聖書の例>:コルネリオの家で行われた洗礼(使徒行伝4:47-48)
「47 この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。48 そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。」(使徒行伝10:47~48)
(4) キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官となった。(ローマ書12:4~5、第一コリント12:13、エペソ書4:16)
「4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」(ローマ書12:4~5)
「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」(第一コリント12:13)
「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ書4:16)
*** 神の子どもになりたいと願う者は、誰でもイエスが模範を示し命じられたように洗礼を受けなければならない。そして、神が約束された聖霊の洗礼を受けなければならない。