贖われた者の祝福
- イザヤ35:1~10 -
[インマヌエル 上巻.3-21]
[イザヤ書35:10] 「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。」
*** 神は自分を軽んじる者はみな滅ぼす(イザヤ書34章)。しかし、神を畏れる人々は、彼らのすべての罪を赦し、救ってくださる(イザヤ書35章)。では、神に救われた者はどのような祝福を受けるのであろうか。
1. 神の栄光を見る目が開かれる。
「1 荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。2 盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜わるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。」 (イザヤ書35:1~2)
(1) 花一輪に神の栄光を見る。(ルカ福音書12:27、ローマ書1:20)
「ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」 (ルカ福音書12:27)
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」 (ローマ書1:20)
(2) 暗闇(サタンの権勢)から抜け出す。(使徒行伝26:17~18)
「17 わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。18 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」 (使徒行伝26:17~18)
2. 生活の中で不思議な神の恵みを体験する。
(1) 神の権能の御手が現れる。(イザヤ書35:3~4)
「3 弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。4 心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」 (イザヤ書35:3~4)
(2) 願いが叶う驚くべき御業が起こる。 (イザヤ書35:5~6)
「5 そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。6 そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。」 (イザヤ書35:5~6)
(3) 周囲の環境に不思議な変化が起こる。(イザヤ書35:7~8)
「7 焼けた地は沢となり潤いのない地は水のわく所となり、ジャッカルの伏したねぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。8 そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。」 (イザヤ書35:7~8)
3. 罪から解放され、真の平安を持つ。
(1) 罪の赦しを受けることで不義が消え、神の義が臨む。(イザヤ書35:10)
「主に贖われた者たちは帰って来る。...」 (イザヤ書35:10)
① 神の御子イエスのの血はすべての罪から私たちをきよめる。(Ⅰヨハネ1:7~9)
「7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 (Ⅰヨハネ1:7~9)
② 私たちが罪の赦しを受けるとき、私たちの体と魂が神の義で新しくなる。
(2) 楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。(イザヤ書35:10)
「... 彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。」 (イザヤ書35:10)
① 「歌いながら」 - 口には歌がある。
② 「頭にはとこしえの喜びをいただく」 - 頭には冠がある。
③ 「楽しみと喜びがついて来、」 - 心には真の平安がある。
*** 太陽の光が差し込むと暗闇が消えるように、神の恵みが臨むと、心のすべての心配と体のすべての病気と人生のすべての問題が音もなく逃げていく。
私のような人が神の恵みによって救われると、私を通して万人が祝福を受ける。私たちの家庭と教会が恵みを受けると、私のような人が集まったが、万民に恩恵を与える祝福の源となる。