「殆どの人間は実のところ

自由など求めてはいない。

何故なら自由には責任が伴うからである。

みんな責任を負うことを恐れているのだ」

オーストリアの精神分析学者である

ジークムント・フロイトの言葉です。

だからでしょうか、

人は自由を欲しつつも隷従を選択したり、

はたまた自由を放埓と混同して

やりたい放題な生き方をしたりと、

自由を上手く使いこなせない

きらいがあるように思います。

クリスチャンもせっかく

神様からいただいた自由を棚上げしたり

逆に自由の意味を履き違えて

滅茶苦茶な事をすることが無いように

気をつけなければなりません。

そのためには

与えられた自由を

自分の利益のために使うばかりでなく

隣人のために使うようにすると

いいと思います。

更に理想を言えば、

お互いにそうすれば言うことなしです。

おそらく私たちの努力だけでは

それは無理かと思われます。

ですから神様から与えられた

キリスト者の自由を

神様に喜ばれるように使えるように

祈る必要があるように思います。

「兄弟たち。あなたがたは、

自由を与えられるために召されたのです。

ただ、その自由を肉の働く機会としないで、

愛をもって互いに仕えなさい。」

(ガラテヤ 5:13 新改訳)

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