キリストの教会のために
- 使徒行伝2:42 -
シャローム宣教会
[使徒行伝2:42} 「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」
[マタイ福音書16:16-18] 「16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」
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[コロサイ書1:24]「私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。」
本文、使徒行伝2:42とマタイ福音書16:16-18は、教会の存在目的を言及する箇所と考えられます。この御言葉によると、主が建てた教会はハデスの門も打ち勝てます。そして、教会の目的/活動は次のようなものでなければなりません。1)聖書の御言葉を教えること、2)信者のための交わりの場を提供すること、3)聖餐式を執り行うこと、4)祈ること。そのほか、5)救いの福音を宣べ伝えること、6)困っている人々に奉仕することです。
1. 教会は、使徒の教えを堅く守らなければなりません。
* 教会は、私たちが信仰にしっかりと立つことができるように、聖書の教訓を教えなければなりません。エペソ書4:14には、「それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、」とあります。
2. 教会は、使徒の教えに従って互いに交わりをしなければなりません。
* 教会は、キリスト者が互いに愛し合い、尊敬をもって(ローマ書12:10)、互いに訓戒し合う(ローマ書15:14)、互いに親切にし(エペソ書4:32)、互いに励まし合い(Ⅰテサロニケ5:11)、そして互いに愛し合う(1ヨハネ3:11)、交わりの場でなければなりません。
+[ローマ書12:10] 「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」
+[ローマ書15:14] 「私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。」
+[エペソ書4:32] 「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
+[Ⅰテサロニケ5:11] 「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」
+[Ⅰヨハネ3:11] 「互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。」
3. 教会は、聖餐式(パンを裂き)を執り行わなければなりません。
* 教会は、聖徒(キリスト者)たちが自分のために死に、血を流されたイエス・キリストを思いつつながら、聖餐式を執り行うことができる場所でなければなりません(Ⅰコリント11:23-26)。「パンを裂き」(使徒行伝2:42)という概念は、一緒に食べ物を食べるという意味も持っています。これは、教会が交わりを促進する場所であることを示すもう一つの例です。
4. 教会は、共に祈らなければなりません。
* 教会は祈ることに励み、祈りを教え、祈りを実践する場所でなければなりません。
ピリピ書4:6-7 「6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と勧めています。
5. 教会は、救いの福音を宣べ伝えなければなりません。
* 教会に与えられたもう一つの使命は、イエス・キリストによる救いの福音を宣べ伝えることです(マタイ福音書28:18-20、使徒行伝1:8)。
教会は言葉と行動を通して福音を分かち合うことに忠誠を尽くすように召されています。教会は人々に私たちの主な救い主であるイエス・キリストを知らせる地域社会の灯台にならなければなりません。教会は福音を宣べ伝えるだけでなく、福音宣教のために教会員を準備させなければなりません(Ⅰペテロ3:15)。
+[マタイ福音書28:18-20] 「18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
+[使徒行伝1:8] 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
+[第一ペテロ3;15] 「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」
6. 教会は、助けを必要とする人々に世話をしなければなりません。
* 教会は助けを必要とする人々に奉仕する働きをしなければなりません。
この働きには、福音を伝えるだけでなく、必要に応じて適切な肉体的な必要(食べ物、衣服、休息場所)を供給することも含まれます。教会はまた、聖徒がキリストの中で罪を克服し、世の中の汚染に染まらないように、彼らに必要なものを備えなければなりません。これは聖書の教訓とキリスト者の交わりを通して行われます。
+[ヤコブ書1;27] 「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。」
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* 教会が存在する目的は何ですか?
使徒パウロは第一コリント12:12-27でキリスト者に素晴らしい例を示しました。つまり、教会はこの世におけるキリストの体として、神の手、口、そして足です。私たちは、イエス・キリストが今ここに肉体的におられるなら、イエス・キリストが行なったまさにそれを行わなければなりません。教会はキリスト者の集まりであり、「キリストを見習う」こと、そして、キリストの教えにのみ従わなければなりません。
+[使徒行伝2:46-47] 「46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」