導いてくださる神
- 箴言3:5-6 -
[イマヌエル 上巻.1-13]
[箴言3:5-6]「5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
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神は永遠の愛によって私たちを導いてくださる。そしてその愛はどんな状況でも変わらない。それでは、私たちが神の導きを受けるためにはどうすればよいのだろうか。また、その導きはどのように私たちに現れるのだろうか。
1. 神の導きを受けるためにはどうすればよいか?
(1) 心を尽くして主に拠り頼めなければならない。(箴言3:5、本文)
+ 私たちが神の心を知るために何をすべきか?
「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ書12:2)
+ 私たちが神に頼むことができることは何か?
「わたしがあなたの行くべき道を教え、あなたを注目して戒める。"(詩篇32:8)
+ 神は頼む者に何を約束してくださったか?
「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。」(エレミヤ書17:7)
(2) 自分の知恵を頼ってはならない。(箴言3:5、本文)
+ なぜ自分の知恵を頼ってはいけないのか?
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ。― 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:8-9)
+ 神は民にどのような警告をされましたか?
「主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。」(エレミヤ書17:5)
(3) 行く所どこにおいても、神を認めなければならない。(箴言3:6、本文) <参考; 使徒行伝23:1、Ⅰテサロニケ5:9, 18、ヤコブ書1:12>。
「パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」(使徒行伝23:1)
* イエスはどのような原則に基づいて行なったか?
「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。… 。」(ヨハネ福音書6:38-39)
2. 神の導きはどのように私たちに現れるか?
(1) 私たちの道を導いてくださる。(箴言3:6、本文)<参考; 詩篇119:105、ヨハネ福音書14:6>
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)
(2) 私たちの道を豊かにしてくださる。<参照; 詩篇:1:1-3、歴代誌下26:5>
+ 自分に理解できない状況に陥った時、どうすればよいか。<参照; ピリピ書4:6-7>
「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ書1:5)
+ 神の約束が実現するために必要なことは何か?
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。」(ヘブライ書11:1-2) <参照; ヘブライ書10:36>
(3) 神の導きを知るために、神の霊を与えてくださった。
「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。」(1コリント2:12)
<例話;ヘンリー・フォードの信仰>
カーネギーは、ヘンリー・フォードが臨終する数年前に彼と会見した。カーネギーはフォードに「あなたは疲れを感じることはないのか」と尋ねた。フォードは次のように答えた。「ないですね、私が信じているのは、すべてのことは神が支配しているということです。神は私の意見を必要としません。神が責任を取ってくれる限り、最悪の状態になったとしても、万事を信じることです。そんなことで、何を悩む必要があるのでしょうか。」
* 私たちの生活の中で、現在神の導きを求めていることは何ですか?
また、その業のために私たちが行っていることは何か?
私たちは神を正しく信頼しなければならない。私たちが神を完全に信頼し、認めれば、神は私たちを最も良い道に導いてくださる。神は私たちのすべてを知っていて、私たちの歩みを導いてくださるからだ。それだけではなく、父なる神は限りない知恵と能力と豊かさで私たちに必要なすべてのものを満たしてくださる。