新しく生まれてないのに、
新しく生まれたと勘違いしている人が多い!
- ヨハネ福音書3:7 -
[ヨハネ福音書3:7]「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」
+ 「新しく生まれる」は救いにおいて非常に基本的なことです。
私たちは、私たちが本当に「新しく生まれたかどうか」確かめなければなりません。そして、本当に新しく生まれたなら、喜ぶべきです。なぜなら、実際には新しく生まれてないのに、自分だけ新しく生まれたと思っている人がとても多いからです。
ただクリスチャンという名前を持っているからといって、彼が本当にクリスチャンであるとは限らないという事実をはっきり知っておいてください。キリスト教の国で生まれたとか、キリスト教を信じることを告白する人として認められるとか、そういうことは、「新しく生まれる」がそこに付随しない限り、何の役にも立たないのです。
+「新しく生まれる」ことは、人の言葉では到底表現できないほど、とても神秘的なことです。
「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(ヨハネ福音書3:8)。
それにもかかわらず、それは私たちが知って感じることができる変化です。つまり、聖なる行為によって知らされ、恵みの体験によって感じることができる変化です。
+ 「新しく生まれる」は超自然的な偉大な御業です。
これは人が自分自身で行うことができる何らかの業ではありません。代わりに、胸の中で働き、魂を新しくし、その前の人に影響を与える限り、新しい原理がその人の中に吹き込まれるのです。
これは私の名前が変わるのではなく、私の性質が新しくなることです。だから、過去の私ではなく、イエス・キリストのうちに新しい人になるのです。
死体をきれいに洗って服を着せることと、その死体を生き返らせることは全く別のことです。しかし、前者は人ができることで、後者は神だけができることです。
+ 皆さん、新しく生まれましたか? そうであれば、皆さんはこう叫ぶでしょう。
「主イエスよ、永遠の父なる神様、主は私の魂の父です。主の御霊が私の中にこの新しい、聖なる霊的な命を吹き込んで下さらなかったら、私は今日まで「罪と咎で死んでいた」でしょう。私の天国生活は全くの父からのものです。それは全くの父のおかげです。私の命は、神様の中でキリストと共に隠されたものです。今、生きているのは私ではなく、私の中に生きているキリストです。」
主よ、私たちがこの極めて重要な事実を確信できるように助けてください!新しく生まれないということは、救いを得られないことであり、赦されないことであり、神も希望もないのですから。
チャールズ・スピルジョン牧師の朝の黙想」(生命のことば社訳)より
出典: https://lake123172.tistory.com/4534?category=480467