神の賜物
- 伝道書5:19-20 -
シャローム宣教会
[伝道書5:19-20]「19.実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。20.こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」
序言
神はキリスト者に富と財宝を「神の賜物」として信仰と共に与えてくださって、キリスト・イエスの弟子として福音のために働くようにしました。
[エペソ2:8-10]「8.あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。9.行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。10.私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」
1. 神は人のために「神の賜物」を下さいました。
本文は、神が人に富と財宝を与え、楽しませ、苦労している間に喜びを得ること、そして彼が人生の長さがどれくらいあるか、いつ死ぬようになるかあまり考えず, 喜んで生きることも神からくださる賜物だと言います。この世で、人が喜びながら生きることは神が人にくださった祝福ということです。
[伝道書2:24]「人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。」
[伝道書3:13]「また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。」
[伝道書9:9]「日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。」
2. 富と財宝に関する聖書の教訓について探ってみます。
(1) 富と財宝が持っている属性
① 富と財宝は神の御手の中にあります。(歷代記上 29:12)
[歷代記上 29:12]「富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。」
② 富と財宝はすべての人に与えられる神の賜物です。(伝道書5:19/本文)
③ 富と財宝は神を信じる者たちに与えられる神の恵みです。(ヘブライ書11:2-32)
④ 富と財宝は神に捧げる献物になります。(マタイ福音2:11, 歷代記上29:14)
[マタイ福音2:11]「そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」
⑤ 富と財宝は救いの恵みを受けさせます。(使徒行錢 2:44-47, ローマ書12:6-8)
[使徒行錢2:44-45]「44.者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。45.そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。」
(2) 富と財宝によって受ける祝福
① 全き心で神に感謝するようになります。(歷代記上 29:10-14)
[歷代記上 29:12-13]「12.富と誉れは御前から出ます。.... あなたの御手によって、... 13.わたし たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。」
② 多くの人を救うことになります。(使徒行錢 2:45-47)
[使徒行錢 2:45-47]「45.そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。47.神を賛美し、... 主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
③ 御国を相続させていただくことになります。(コロサイ書3:23-24)
[コロサイ3:23-24]「23.何をするにも、人に対してではなく、,,, 24.... 御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」
④ 自分にくださった賜物がかなうことになります。(ローマ書12:6-13)
[ローマ書12:6-13]「6.私たちは、与えられた恵みに従って、... 12.望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。13.聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。」
⑤ 自分の堅固な城になります。(箴言10:15)
[箴言 10:15]「富む者の財産はその堅固な城。貧民の滅びは彼らの貧困。」
⑥ 多くの友を増し加えるようになります。(箴言19:4)
[箴言 19:4]「財産は多くの友を増し加え、寄るべのない者は、その友からも引き離される。」
(3) 富と財宝に関するキリスト者の信仰
① 喜びをもって、神に捧げなければなりません。(歷代記上29:14, ピリピ書2:17-18)
[ピリピ書2:17-18]「17.たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。... 18... 私といっしょに喜んでください。」
② 自分のからだをもって、神の栄光を現さなければなりません。(コリントⅠ6:19-20, 10:31)
[コリントⅠ6:19-20]「19.... もはや自分自身のものではないことを、... 20.あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」
③ キリストのために、捧げなければなりません。(マタイ福音26:7-13, ピリピ書1:20)
[マタイ福音26:7-13]「... 12.この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。13....あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
④ より多くの保証を信仰によって望みながら祈らなければなりません。(ヘブライ書11:1-2)
[ヘブライ書11:1-2]「1.信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。2.昔の人々はこの信仰によって称賛されました。」
結言
この世に住んでいる日の間、私たちは、神が与えられる良い賜物をたくさん受けて、喜びと平安で幸せに生きていくべきです。私たちに与えられた富と財宝は「神の賜物」です。私たちは、キリスト者として、神の御言葉に従って信仰をもって、神に捧げなければなりません。そして、それによって加えてくださる「神の賜物」であるあふれる祝福を待ち望むべきです。