初代教会の教師
- 第一コリント12:28 -
[インマヌエル 下巻.10-16]
[第一コリント12:28] 「神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。」
[第一テモテ4:12-13] 「12 年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。13 私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。」
Ⅰ. 「教師」という言葉の意味
(1) 教師(διδάσκαλος ディダスカロス)は、一般的に教師(先生)と訳され、尊敬を表す言葉である。
(2) 新約聖書においてこの言葉は約60回使用されているが、その半数以上は主イエスを指している。
(3) 先生(マタイ福音書10:24、ルカ福音書6:40)として、聖書に記録された神の道を教える人を意味する。
2. 教会における教師の役割
(1) 新約聖書では、洗礼者ヨハネ(ルカ福音書3:12)や、ユダヤ人の宗教指導者、権威者に対して用いられている(ルカ福音書2:46、ヨハネ福音書3:10)。
「そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。」(ルカ福音書2:46)
「イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。」(ヨハネ福音書3:10)
(2) ヨハネ福音書1:38に見られるように、弟子との関係において教えを授ける方を指す場合もあり、公的な立場ではなくとも、ある集団の指導者としての地位が認められる場合にも適用される。
「イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」」(ヨハネ福音書1:38)
(3) 初代教会において、教師は使徒や預言者と共に重要な役割を果たした。(使徒行伝13:1、第一コリント12:28)
「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」(使徒行伝13:1)
(4) 教師は地域的な職務として、牧師(エペソ書4:11)や長老(第一テモテ5:17)、監督(テトス書1:9)を兼任していたことは事実である。しかし、教える職務には、地域に限定されない使徒的な要素が見られる。
(5) 教師の職務が使徒の職務と異なる点は、宣教的な面よりも教育的な面が中心であったと考えられる。
+ 使徒パウロは、教師という特別な活動の場におけることを語り(第一コリント14:26)、自らを教師であると認めている(第一テモテ2:7、第二テモテ1:11)。
「兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。」(第一コリント14:26)
「私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。」(第二テモテ1:11)
(6) 預言者がより自由な形態で活動したのに対し、教師はその形式と内容において規則性が求められていたようだ。<第一テモテ2:7>
「そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ―私は真実を言っており、うそは言いません。―信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。」(第一テモテ2:7)
(7) 使徒たちが世を去った後、異教的な教えが広まるにつれて、教師の活動は地域に定着することが必要になったと考えられる。<第二テモテ2:2>
「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」(第二テモテ2:2)
*** 学び、教えることは、聖徒たちにとってまことに尊く、重要なことである。イエスは弟子たちを熱心に教え、守られた。
イエスは、弟子たちがいつでもどこでも学び、教えることをよく行うことを望まれた。それゆえ、私たちがよく学び、よく教える者となるならば、私たちの主は喜ばれ、私たちを「良き忠実な僕(マタイ福音書25:21)」と呼ばれるだろう。
