キリスト者の病気
- ピリピ書2:12~14 -
[インマヌエル 上巻.3-15]
[ピリピ2:12~14] 「12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」
*** [ヨハネ福音書9:1~3] 「1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」 3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」
1. なぜ、キリスト者に病気による苦しみを与えるのか。
- 神の喜ばしい御心のために行うことが根本的な理由である。
(1) 神の喜ばしい御心のために、病気の苦しみがある。(ヨハネ福音書3:16)
- 神がどのように世を愛しておられるかを知らせる。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」 (ヨハネ福音書3:16)
(2) いのちの御霊の原理を知らせるために、病気の苦しみがある。(ローマ書8:2)
- キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理について知らせるためである。
「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」 (ローマ書8:2)
2. 病気をどのように癒やされるのか。
- 神の御言葉に従って祈らせて、イエス・キリストの権能によって癒やされる。
(1) 苦しみの中で聖霊の働きによって、神の御旨を知り、悔い改めさせる。(ルカ福音書7:48)
(2) イエス・キリストの豊かな恵みを体験させる。(ヨハネ福音書11:40-44)
(3) 神のすべての御言葉が真理であることを悟らせ、信仰を持たせる。(ルカ福音書9:1-6)
(4) 信仰の力で闇の勢力に打ち勝ち、病気が去るようにさせる。 (使徒行伝8:4-8)
3. 病気の苦しみの中で何を悟り、信じることを望まれるのか。
(1) 生命の主管者が創造主の神であることを体験させたい。(詩篇23:1-6、ヘブライ書9:27)
(2) イエスが永遠のいのちを与える神の子であることを信じさせたい。(ヨハネ福音書3:16)
(3) イエスが救い主であり、キリストであることを信じさせたい。(使徒行伝2:36)
(4) イエス・キリストはいつまでも同じ方であることを悟らせたい。(ヘブライ書13:8)
(5) 聖書が神の御言葉であることを信じさせたい。(Ⅰテモテ3:16、ヘブライ書4:12)
(6) 神の子供となった自分に対する神の願いを悟らせたい。(ピリピ書2:13)
4. 病気の癒しを通して得る利益は何か。
(1) 肉体の苦しみを通して霊的な祝福を悟り、信仰の成長を成し遂げる。
- 霊的な成長を成し遂げる。 (Ⅱコリント12:9)
「主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」 (Ⅱコリント12:9)
(2) イマヌエルの祝福を体験し、救いの契約を信じる。
- イエス・キリストの弟子になる。(ヨハネ福音書15:1-8)
「7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」 (ヨハネ福音書15:7-8)
(3) すべての人を助ける者になる。
- 預言者や教師の使命を担えるようになる。(使徒行伝13:1)
「アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」 (使徒行伝13:1)
(4) 神の御言葉が啓示の御言葉であることを信じる。
- 弟子の使命を担うことができるようになる。(エペソ書4:11)
「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」 (エペソ書4:11)
*** イエス・キリストを信じる聖徒たちには、聖霊の交わりと助けと導きがある。- 「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。(ローマ書8:14)」 - 神は人を用いて自分の御心を成し遂げられる。救われた聖徒は、神の喜ばれる御心に従って願いを持ちながら生きていく。救われた聖徒にも残された罪と過ちがあるが、神が与える敬虔で善い願いに従って行うことによって、神が与えた救いが聖徒の人格と生活の中で現れるのである。