イエス・キリストの復活
- ヨハネ福音書11:25~27
[インマヌエル 上巻.2-29]
[ヨハネ福音書11:25~27] 「25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」 27 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」
*** キリスト教の信仰について最も重要な教えの一つは、イエス・キリストの復活である。その事実は、初代教会の最初の説教者たちによって行われた使徒行伝に記録された13編の説教のうち11編が復活を事実として伝えていることからもよく分かる。説教者たちは、イエスが確かに復活されたこと、そしてイエス・キリストを信じる者も復活することを確信していた。(使徒行伝2:23~24、17:31)
1. イエスの十字架、死、復活、空の墓
- 聖書は、イエスの十字架、死、復活、空の墓について語っている。
(1) 天使も女たちにイエスが復活されたことを知らせた。(マタイ福音書28:5~6)
「5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」 (マタイ福音書28:5~6)
(2) イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われた。(使徒行伝1:3)
「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」 (使徒行伝1:3)
(3) パウロもイエスが聖書に従って三日目によみがえられたことについて語った。(第一コリント15:4)
「また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」 (第一コリント15:4)
2. イエスの復活の意義
(1) 基督論的に言えば
ⓐ イエスは復活により、大能によって公に神の御子として示された。(ローマ書1:4)
「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」 (ローマ書1:4)
ⓑ 復活は、イエスが主であり、キリストであることを証明した。(使徒行伝2:36、第二テモテ1:10)
「イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」 (使徒行伝2:36)
© 最後のアダムであるイエスは、復活によって、生かす御霊となった。(第一コリント15:45)
「聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」 (第一コリント15:45)
ⓓ イエスは、復活によって、生きている者と死んだ者とのさばき主に定められた。(使徒行伝10:42)
「イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。」 (使徒行伝10:42)
(2) 救済論的に見ると
ⓐ イエスの復活は、救済の御業の核心的な部分である。
ⓑ 復活されたイエスにあるいのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、信じる者を解放する。(ローマ書8:2)
© 復活されたイエスは、信じる者をすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れる。(第二テモテ4:18)
(3) 終末論的に考えると
ⓐ 復活は、信じる者を個人的な意味において変容させるだけでなく、被造物全体を神の意図された御計画を成就する道に導く。(ローマ書8:19~22)
「19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。22 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」
*** キリストの復活が、私たちの救いと密接に結びついていることは、「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。(ローマ書4:25)」という御言葉から分かる。復活がなければ救いはあり得ない。キリストを死からよみがえらせたその復活の力が、イエス・キリストとに結ばれている人の中に、今も働いている。(ピリピ書3:10)