主にあって誇れ
- コリント第一1:27-31 -
[コリント第一1:27-31]「27.しかし私は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。28.また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。29.これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。30.しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。31.まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。」
序言
救いは人の願いや努力で得られるものではありません。パウロはローマ書9:15-16に神がモーセに仰せられた「わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。(出エジプト記33:19)」を引用して、「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」と言いました。したがって、神に選ばれ、救われた者は神の恵みと憐れみを主にあって誇らなければなりません。
神はどんな人も自分を誇らないようにし、救い主であるイエスにあって誇らせるために何を行いましたか。
1. 神の御心を成就する者を選びました。
⑴ この世の愚かな者を選び ◎ 知恵ある者をはずかしめるために
+ 無学な、普通の人たちをお呼びになって弟子にされました。
[マルコ福音1:16-17]「16.ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。17.イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
+ 弟子たちの賢明な言葉は多くの人々を驚かせました。
[使徒行伝4:13]「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た」
{◈ 愚か(Fool)とは、一般的に愚かで鈍い態度や行動のことです。= 新約聖書のパウロ書簡では、見た目は流暢で知恵があり、論理的で説得力があるように見える「世の中の知恵」と反対の「十字架の道」を説明する時にこの単語を使いました。世の中の知恵から見ると、「十字架の道」(福音書)は愚かである(コリントⅠ.1:18; 2:14)ように見えますが、使徒パウロは神の前で本当に賢く生きたい人は、世の中で「愚かな者」になれと教訓します(コリントⅠ.3:18)。なぜなら、神の愚かなものが人より知恵があり、神の弱いものが人より強いからです(コリントⅠ.1:25)。}
⑵ この世の弱い者を選び ◎ 強い者をはずかしめるために
+ イエスは、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直されました。
[マタイ福音9:35]「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」
+ イエスは、十二弟子を呼び、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになりました。
[マルコ福音6:7]「また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。」
⑶ 無に等しい者を選び ◎ 有るものをない者のようにするために
+ イエスは、取税人や罪人たちの友達になりました。
[マルコ福音2:15]「イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。」
+ イエスは、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされました。
[ヤコブ書2:5]「よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」
2. 神は選んだ者たちに良い贈り物、完全な賜物を与えてくださいました。
⑴ 恵みのゆえに、信仰によって救われました。
[エペソ書2:8]「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」
⑵ すべての良い贈り物、また、完全な賜物を与えてくださいました。
[ヤコブ書1:17]「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」
⑶ 富と財宝を与えてくださいました。
[伝道書5:19]「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」
3. 神の良い贈り物、完全な賜物を与えられた者たちに「主にあって誇れ」言われました。
(1) 私たちは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
+ キリストは、私たちにとって、神の知恵となりました。
私たちは過去に知恵がなく、疑問の混沌の中で暮らしていました。しかし今、イエス·キリストは私たちの知恵になり、このすべての疑問に対して正しい答えをくださいました。
+ キリストは、私たちにとって、義になりました。
イエスは十字架で血を流して死ぬことによって私たちのために神の完全な義を成し遂げられました。
+ キリストは、私たちにとって、聖めになりました。
イエスは私たちのすべての罪、すべての過ちを洗い流してくださいました。ゼカリヤ書13:1に「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」と言いました。
+ キリストは、私たちにとって、贖いになりました。
イエスは私たちのすべての罪とその刑罰から私たちを自由にしました。
(2) 「誇る者は主にあって誇れ。」と言われました。
結言
[エレミヤ書9:23-24]「23.主はこう仰せられる。知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。24.誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。」