イエス・キリストの復活と再臨
- ペテロの第一 1:3-7 -
シャローム宣教会
[ペテロの第一 1:3-7] 3. 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。4. また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。
5. あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。6.そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、7. 信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
序言.
神はイエス·キリストを死者の中からよみがえらせ、罪と死に対する御力をあらわすと共に、人を救うことを喜ばれた。したがって、キリスト者の復活は、救い主イエスの復活につながることで、主イエスはそのことについて、キリスト者を「復活の子として神の子ども」と呼んでいる。
[ルカ福音 20:36] 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。
[ヨハネ福音 11:25-26] 25. イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26. また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
[ヨハネ福音 6:40] 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。
1. イエス・キリストの復活とキリスト者の生ける望み
本文:[ペテロの第一 1:3-4]
+ キリスト者は、新しく生まれて「生ける望み」を持つようになった。罪の結果は死と滅亡であり、そこには恐怖と絶望だけあった。しかし、今、罪の贖いと永遠の命を得たキリスト者は、希望を持つようになり、その望みは決して無駄ではない「生ける望み」である。世の中のものはすべて腐り、汚くなり、古くなる。
[詩篇 102:26-27] 26. これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。27.しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。
[イザヤ書 40:6-7] 6. ... 「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。7. 主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。
+ キリスト者のために天にたくわえられている資産、つまり天国は、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない、神聖と光栄と永遠の国である。救われたキリスト者たちは、その天国を相続人として相続する神の子たちなのである。
[ローマ書 8:17] もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
2. イエス・キリストの再臨とキリスト者の称賛と光栄と栄誉
本文: [ペテロの第一 1:5-7]
+ 「終わりのときに現わされるように用意されている救い」とは? 前の節に述べた天国を意味する。「終わりのときに現わされる」とは、イエスの再臨のときに現わされる意味である。キリスト者たちは将来イエス·キリストの再臨の時に復活し、変化して栄光の天国で永生を享受するだろう。また、キリスト者たちはこの驚くべき救い、すなわち栄光の天国を得るために、今、信仰によって神の御力で保護されている。
[ヨハネ福音 10:27-28] 27. わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。28. わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
[テモテ第二 1:12] そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
+ 神の救いと神の御力による保護がこのように確かなので, キリスト者たちは世の中でさまざまな患難と試験を受け, 心配にもなりますが、かえって大きく喜ぶことができる。なぜなら、私たちの信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いからである。
キリスト者たちは、患難と試験を通じて人格の鍛錬を受け、聖なる謙虚て信頼できる人格者になり、また神に栄光をもたらす善行を多くすることで、主イエス·キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものを得ることになるだろう。
[ローマ書 5:3-4] 3. そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、4. 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
結言
キリスト者は天国(神の国)の「生ける希望」を持っている. それは主イエスの復活によって与えられた。天国は神聖で栄光の世界であり、そこにはもはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもないだろう。すべてのキリスト者の望みはこの世にあるのではなく、主イエス·キリストの再臨によって現れる永遠の天国にある。
[黙示録 21:4] 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。
キリスト者は、イエスを信じて救われたが、祈りによって神の恵みと平安を受けなければならない。世の中にはさまざまな患難と試験が多く、時々心配したりもするが、生ける希望を持つキリスト者たちは神の御力によって守られれる。また、信仰の試練を通して、キリスト者たちの人格は純金よりも鍛えられる。
= このようなことが完全に至る聖化の過程である。金が炉で鍛えられ純金になるように、キリスト者は世の中での試練を通じて、称賛と栄光と誉れを得、完全な人格に成長していく。