湖畔で出会った復活した主
- ヨハネ福音 21:9-14 -
シャローム宣教会
[ヨハネ福音 21:9-14] 9.こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。10.イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」 11.シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。12.イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。13.イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。14.イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。
序言.
死からよみがえられたイエス様は、四十日にわたって弟子たちに現れ、神の国について話された。ヨハネ福音21章にはイエス様が弟子たちに三度目で現わされた出来事が記されている。
1. 弟子たちを訪ねてきた復活したイエス様
[ヨハネ福音 21:1-6] 1.この後、イエスはテベリヤ(=ガリラヤ)の湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。2.シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。3.シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」 彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」 彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4.夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。5.イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」 6.イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。
+ ペテロと他の6人の弟子たちは、エルサレムで復活されたイエス様に会った後、ガリラヤに戻った。イエスは彼らにガリラヤに行って再び会おう約束されたからであった。(マルコ福音 16:5-7)
[マルコ福音 16:5-7] 5.それで、墓の中にはいったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。6.青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。7.ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」
+ ある日ガリラヤで、ペトロが「私は漁に行く」と言った。一緒にいた6人の弟子たちも「私たちもいっしょに行きましょう。」と言った。それでこの7人の弟子が魚を取りに湖に行った。(ヨハン福音 21:2-3)
* なぜ、ベテロは急に魚とりに行こうとしたのか?
= この出来事について聖書学者たちはいろいろな解釈をする。ある者は、「3年前にイエスについて行こうとすべて捨てていった船と網をペテロが再び手に持って行き、船に乗ってガリラヤに行ったということは、彼が霊的にすでに間違っているということを証明している。ある面では霊的に病んでおり、堕落したのかもしれない。ペテロは今、間違っている」と言う。しかし、私たちはこのような解釈に決して同意しない。ペテロと弟子たちは、すでに復活されたイエス様に何度も会ったことがあるので、イエス様を疑ったとか、堕落したなどという解釈は、あまり説得力がないと思うからである。
* <ジョン·カルビンの注釈>
「ペテロが漁に奔走したという事実を、彼の職に反するものとして扱ってはならない。彼は新しい能力を重ね着されるまでしばらく休んでいた. なぜなら、彼はまだ彼の教える職を行使しろという命令は受けておらず、ただ召命についてだけ話を聞いてきたので、彼と他の弟子たちは彼らが最初から無駄に選択されたわけではないという点を理解できたからだ。その間, 彼らは彼らが以前していた仕事, すなわち個人に属する仕事をしている. ... ペテロとその同僚は公的任務がなかったため、時間の制約を受けず、全面的に漁とりに没頭していたのだ」
+ 弟子たちが夜通し網を投げているガリラヤの湖畔に来て、炭火をおこして餅と魚を焼いていらっしゃる復活されたイエス様、想像するだけでも胸がジーンとしないか?
* その夜、同じ船に乗っていた7人の弟子たちは何を考え、何を言ったのだろう? = 十分に見当がつくのでは?
[マタイ福音 17:1-9] 1.それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。2.そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。3.しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。4.すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」 5.彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。6.弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。7.すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない。」と言われた。8.それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。.9.彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、「人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない。」と命じられた。
2. 弟子たちをとても愛する復活したイエス様
+ 弟子たちが何も取っていないと答えると、イエス様は彼らに指示しました。「網を船の右側に投げなさい。そうすれば得るだろう」(ヨハネ福音21:6)。弟子たちがその言葉に従ったところ、大きな魚153匹が釣れた。
= 弟子たちの立場から見ると、彼らが夜通し空の網で苦労したのは、後に復活の主に会ってから考えると徒労ではなかった。空の網があったからこそ神の奇跡を体験することができた。
+ 弟子たちは復活した主が立っているのを見て、急いで陸に出てきた。来てみたら炭火がおこっていて、その上には餅と魚が香ばしいにおいをさせながら煮えていった。
= イエス様は弟子たちに釣った魚をもう少し持って来いとおっしゃった。魚をもっと炭火にのせて焼いた。準備が整うと、イエス様は弟子たちに向かっておっしゃった。「来て朝食を食べなさい」(ヨハネ21:12)。イエス様は自ら炭火の上にある餅を弟子たちに持ってきてくださった。その次には炭火の上でおいしそうに焼けた温かい魚も7人の弟子たちに持ってきてくださった(ヨハネ21:13)。
決言
なんて美しい場面だろう。子供を座らせて熱心に食べさせようとする母のような心を復活されたイエス様から見つけなければならない。とても良くて, 人間であり、永遠に生きておられる復活の主が私たちと一緒におられる。私たちの中にある復活の永遠の命を私たちの生活の中に燃やしながら、残りの日を生きよう。
[ヨハネ福音21:15-17] 15. 食事が終わると、イエスはシモン․ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16. 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17. 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。