神の国は人生に開ける
地上に開ける神の国
"燃えているのに焼け尽きない柴"――
そこに、神の命と光の場が形成された。
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[聖書テキスト]
「わたしが神の御霊(みたま)によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」
(マタイの福音書一二・二八)。
[メッセージ]
多くの人は、神の国は遠い所にあると思っています。はるかかなた、天国に行かなければないものと思っています。
しかし、そうではありません。神の国とは、特定の場所のことではなくて、神の御臨在(ごりんざい)される場をいうのです。神が臨在されるところ、それはどこでも神の国です。主イエスは、
「わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」
と言われました。神の御霊、聖霊が働かれる所、そこに神の国が開けます。神がご臨在し、みわざが行なわれるところに、神の国が開けるのです。
神の国とは、最終的には、キリスト再臨後の千年王国、そして、古い天地が過ぎ去って新しく創造される新天新地をさします。それは"来たるべき神の国"です。神の国の最終的な姿がそこにあります。
その日、神のみもとにある天国が、地上世界を支配して、地上世界のすべてが神の支配下におかれるのです。こうしてその新世界は、神の国となります。
しかし、神の国は単に未来に来るものではありません。それは単に将来のものではなくて、すでに"来つつあるもの"でもあります。
神の国を信じる者たちの心と魂に、神の国は先取り体験されていくのです。神の国は、今、ここで、あなたの内側に開かれ得るものです。あなたの内側に展開し得るものです。
神の国は、まず地上に開けます。人生に開けます。そして後、天で開かれ、やがて天と地が、神の国において一つとなるのです。
私たちが、心の中で神の国を体験するというのは、天と地が心の中で結ばれる経験です。そのとき私たちは、地上にいながらにして、天にいる思いとなるのです。
神の国の「場」
物理学の世界では、よく「場」ということが言われます。
磁力線の働くところを、磁場といいます。電磁波のおよぶ所を電磁場、重力のおよぶ所を重力場といいます。この「場」の考え方は、物理学の分野で革命をもたらしたと言われます。
物理学だけではありません。神の国においても、「場」というものがあります。
東京・調布の教会の日曜学校の先生をしている方が、こんな証しをしてくださいました。
彼がまだ求道者だった頃、ある日、教会の集会に少し遅れて来ました。讃美がもう始まっていました。その讃美の中に入ったとき、彼は圧倒されてしまいました。神のご臨在にふれて、彼はそのとき思わずひざまずいて、回心したというのです。
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