遣わされた者
- ヨハネ福音13:1-17 -
[ヨハネ福音13:15-17]「15.わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。16.まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。17.あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。」
イエスが弟子たちの足を洗ってくださる行動に何の意味が込められていますか。私たちもイエスの模範に従って具体的に実践に移すためにもう少し深く考えてみましょう。
1. 仕えることを知らない世代
⑴ この世代は利己主義が正常な人格のように認められる時代ではないですか。
① 子供から大人まで「私が嫌だというのにどうしたんですか」「私が嫌ならしません。」このような言葉を恥ずかしいことを知らずに吐き出し、その言葉通り行動する人が増えている。
② 結婚した後、「私は嫌いなら一緒に住みません」という考えが誰もが若者たちの心に密かに定着している。- 夫が病気になると妻が逃げてしまい、夫婦が口論を一度したからと簡単に別れ、子供を引き受けたくないと孤児院に預けて行ってしまうのです。
⑵ 心理学者エリック·フロムの言葉
「利己的な人は他人の必要に対する関心や他人の尊厳性や人格に対する尊敬などは最初から眼中にありません。自己中心的な人は自分以外には誰も見ることができず、すべての人とすべてことを自分にとってどれだけ役に立つかということだけで判断しようとする」。
⑶ 聖書の例; イエスの弟子たち (本文, ヨハネ福音13章)
① イスラエルはもともと乾燥した土地です。その頃はサンダルを履いていたので、少し歩くだけで足が汚れます。そのため、どの家に入ってもドアの間には足を洗うように水を入れた壺が用意されています。僕がいる家庭は僕が出てきて、お客さんの足を洗ってくれます。洗ってくれる人がいなければ自分が足を洗って入らなければなりません。
② 食事が始まりました。その時まで弟子たちは足を洗わずにいました。おそらくイエスは弟子たちの中で誰かが立ち上がって他の人(イエス様を含む?)の足を洗ってくれることを待っていたのかもしれません。しかし、しばらくして食べ物をすべて食べていくのに、弟子たちの中でただ一人も立ち上がって足を洗ってあげる考えもしなかった。
③ その食事の席で、弟子たちの間には、「だれが一番偉いだろうか(ルカ福音22:24)」という論議も起こった。その時、イエスは彼らに、「わたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。(ルカ福音22:27)」と言われました。
2. 仕えることの模範を示したイエス
⑴ イエスは仕える模範を示されました。謙遜する必要のない時間に謙遜されました。
① 一晩が過ぎれば十字架で亡くなり、その後3三日目に復活されます。その後40日間この世にいて、昇天され、天の御座に座って列国を列国を治めます。
② 弟子たちに向かって「私はもう神の国に行きます。靴を脱いで私の前に伏せなさい」と命令しても大丈夫な席で、むしろ伏せて弟子たちの足を洗ってくださいました。
⑵ イエスが十二弟子の足をすべて洗われました。そして重要な教訓をしました。(本文)
①「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」(ヨハネ福音13:14)
②「16.まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。17.あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。」(ヨハネ福音13:16-17)
3. 遣わされた者
⑴ 遣わされたイエス
「28. .... わたしは自分で来たのではありません。.... あなたがたは、その方を知らないのです。29.わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」(ヨハネ福音7:28-29) <參照;ヨハネ福音7:16, マタイ福音10:40>
⑵ 遣わされたイエスの弟子たち
「イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ福音20:21) <參照; ルカ福音11:49, ヨハネ福音17:18>
イエスが足を洗ってくださったように、私たち皆が足を洗ってあげる人生を生きましょう。私たちが謙遜に他人に仕えながら生きる時、私たちの心の中に喜びの泉が湧き出る。それで私たちの心にあった病気をきれいに洗い流すことができる。私たちの教会、そして職場、働き場がこのような祝福を受けて味わう美しい祝福の業が起きることを願います。
...............................
[ペテロ第一2:23]「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」
[コリント第二5:19]「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」
[テモテ第二1:14]「そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。」
[テモテ第二2:2]「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」