親⼦関係の教え
- エペソ書6:1-4 -
シャローム宣教会
[エペソ書6:1-4] 「1.⼦どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。2.「あなたの⽗と⺟を敬え。」これは第⼀の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、3.「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で⻑⽣きする」という約束です。4.⽗たちよ。あなたがたも、⼦どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」
親⼦関係について取り扱いたいと思います。特に、⼦どもの⼈格の尊厳と聖書における⼦育ての例について考えてみます。
1. ⼦どもの⼈格の尊厳とは
+ 親が⾃分の⼦どもに対して名をつけるという権威は神から与えられたものです。
その名前は、⼦どもに⼈間としての尊厳を授けることを意味します。神が⾃分の形に似せて⼈を創造されたとき、その「⼈」には名前がありませんでした。単に「⼈」という存在でしかありませんでした。しかしその「⼈」から眠っているときに、⼈の助け⼿としての⼥を造り上げたとき、神は彼らを祝福して、⼈を「アダム」と名づけられました(創世記5:3)。しかし、妻となった⼥を「エバ」と名づけたのは神ではなくアダムでした。そしてアダムは⾃分の⼦どもにそれぞれカイン、アベル、セツと名づけました。神が名前をつけたのは、アダムだけです。そしてこのアダムがすべての⽣き物に名前をつけ、⾃分とかかわる者に名前をつけたということは、神の創造の働きを共にすることであり、同時に、名づけた妻や⼦どもに対して、⼈間としての尊厳を与えたのです。このように名をつけるという⾏為は、⼦に対して⼈間としての尊厳を授けることなのです。
+ 名をつけることで、名づけた⼦の存在に対するある種の責任が課せられています。
それは、⼦どもを神からゆだねられたものとして育てるという責任です。そこに「⼈格の尊厳」があります。
親⼦関係において「⼈格の尊厳」ということを考えて⾏く時、特に⼦どもの⼈格の尊厳ということをどのように受けとめるかが⼤切です。「⼦の⼈格を尊厳する」という定義として、「親から名を与えられた⼦が、決して親の所有物とされることなく、また、親の夢を実現する道具とされることもなく、あくまでも、神からゆだねられた存在として認められ、やがて⼦が⾃らの意志で、⼈として⾃⽴していく権利が尊重されるということです。」
+ 詩篇 127 篇に、「⾒よ。⼦どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」とあります。
「賜物」は、新共同訳には「嗣業」と訳しています。「報酬」は、主への信仰によって与えられる「報酬」という意味です。おそらく、⼦どもたちは信仰によって結ばれた夫婦に与えられた神からの「相続」、かつ「報酬」ですが、決して親の所有ではなく、神からゆだねられたあずかりものとして育てるという使命が与えられたという意味で理解すべきです。
神が⼦に対して与えている「⼈格の尊厳が親によって脅かされることがないように」との、神からの警告、警鐘のように思えてきます。親が、あるいは周りの者が、このサインを正しく受け⽌めることができるならば、⼦どもは健全な成⻑をとげることができ、やがて、親も⼦から尊敬されることになるはずなのだと思います。しかし、このことが正しく受けとめ切れない所に、家庭における親⼦関係のさまざまな問題が発⽣してくるようです。
2. 聖書における⼦育ての例
+「親になる」ということは本当に⼤変なことです。
親になる者が必ずしも、はじめから⽴派な親としての務めを果たせるわけではありません。また、社会的に⾼い地位にある者、⾼い⽔準の教育を受けた者が、必ずしも、⼦どもの養育に成功するというものでもありません。むしろ失敗することが多いということを、聖書が教えています。そのような例がいくらでもあります。聖書の中には、神から祝福された⼈であっても、⼤いなる働きを与えられた⼈であっても、こと⾃分の⼦の養育においては成功していない例がいくつもあります。以下は、⼦どもをスポイル(spoil)した⽗親たちの例です。
(1) ⼤祭司アロンの場合
息⼦たち(ナダブとアビフ)は、厳禁されていた異⽕をささげて神にさばかれて死にました。⽕は常に祭壇から取られなければなりませんでした。いわば⽇常的になされている神への⾏為において、聖なるものに対する「狎れ」(なれ)がありました。最も聖なることに対して厳しくあるべき⽴場にある⼤祭司の息⼦たちが、聖なるものに対する「狎れ」を暴露する事件でした。狎れの罪に対する息⼦たちの死に対して、アロンはただ黙って受けとめざるを得ませんでした。このとき、親のアロンに対して直接的に罪は問われていませんが、アロンは沈黙の中で⼗分な痛みを感じたはずです。
(2) 最後の⼠師、祭司エリの場合
祭司エリの⼆⼈の息⼦の名はホフニとピネハス。彼らは共に不貞を働き、最上のささげもので⾃分たちを肥やしていました。⽗エリはそのことを知りながら、息⼦たちを戒めなかったとあります。このときは神の怒りにふれ、⽗も息⼦たちもさばかれました(サムエル第⼀4 章)
(3) 預⾔者サムエルの場合
預⾔者サムエルの⼆⼈の息⼦の名は、ヨエルとアビヤ。彼らは⽗の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていたとあります。⽗サムエルは各地での神の仕事に忙殺され、家庭での⼦どもの教育に時間を取ることができませんでした。
(4) イスラエルの王ダビデの場合
ダビデの息⼦の名は、アムノン、ダニエル、アブシャロム、アドニヤ、シェファテヤ、イテレアム、ソロモン。ただし、すべてが異⺟兄弟。主の道に歩んだのはソロモンただ⼀⼈。ダビデはソロモンに主の道を教えました。そのため、ソロモンは豊かな知恵が与えられ、実に聡明な王となります。しかし、⼈⽣の後半は⾃分の知恵に頼り、平和維持のための政略結婚によって偶像を持ち込みました。
(5) 使徒パウロの場合
使徒パウロは⽣涯独⾝であったために、彼に⼦どもはいません。しかし彼には霊的な息⼦がいました。その名はテモテ(「信仰による真実のわが⼦」「私の⼦」と呼んでいる)です。
以上に挙げた例を通して、⼦育ての難しさを覚えます。そうした中でも⽐較的良い例としては、ダビデのソロモンに対する教育と使徒パウロのテモテに対する教育です。使徒パウロのテモテに対する扱いは、異邦⼈に対する彼の態度と共通しています。パウロ⾃⾝はパリサイ⼈として⾮常に厳格な教育によって育ちながらも、その失敗の経験をベースとして、パウロはキリストを畏れる⼼を持ちながら、異邦⼈に対して、寛容、かつ柔軟な態度をとることができた⼈でした。そうした裏付けがテモテに対する教育の中に現わされていると思います。