キリスト者の復活
- ヨハネ福音6:39-40 -
シャローム宣教会
[ヨハネ福音6:39-40]「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
神はキリストをよみがえらせることによって,罪と死に対する力を示されると同時に,人を救うことをよしとされた.それゆえ信者の復活は救い主の復活に続くわざであって,主イエスはそのことについて,彼らを「復活の子として神の子ども」(ルカ20:36)と呼んでいる.
1.イエスの復活と共に,キリスト者の復活 (ヨハネ11:25)
「わたしは,よみがえりです.いのちです.わたしを信じる者は,死んでも生きるの です」。(ヨハネ11:25)
+ イエス・キリスト:
- 主は,終りの日の復活について数回語っている. (ヨハネ6:39ー40,44,54)
+ ペトロ:
「イエス․キリストが死者の中からよみがえられたことによって,私たちを新しく 生まれさせて,生ける望みを持つようにしてくださいました」(Ⅰペトロ1:3)
+ パウロ:
- パウロも復活について語っている.(Ⅰコリン15:22,Ⅰペトロ1:3)
「アダムにあってすべての人が死んでいるように,キリストによってすべての人が 生かされるからです」(Ⅰコリン15:22)
= 新約の記者たちは,キリストの復活を孤立した現象としては考えず,人類のために大いなる結果をもたらした,神のみわざと見たのである.
2.キリスト者と共にすべての人の復活(ヨハネ5:28)
- そしてよみがえる者がみな祝福されるわけではないことも明らかにする.
+ イエス・キリスト:
主は「よみがえっていのちを受ける」者と,「よみがえってさばきを受ける」者とについて語っている.(ヨハネ5:29)
「善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受ける ために出て來るのだ。」(ヨハネ5:29)
+ パウロ:
パウロもすべての者がよみがえるが,キリストを拒んだ者にとっての復活はまさに深刻な一大事となると言うのである.(使24:15)
「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いて います。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。」(使24:15)
= よみがえる順序については,両者は同時にではなく,「キリストにある死者が,まず初めによみがえり」(Ⅰテサロ4:16),次いで順序に従って事態が進展するのである.(Ⅰコリン15:2028)
3.復活のからだ
(1) 復活のからだの本質について詳しくは語られていない.
+ イエス・キリスト:
主はサドカイ人の質問に対して,「死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。」と答えられた. (マルコ12:25)
+ ヨハネ:
ヨハネは「私たちはキリストに似た者となる」と言っている. (Ⅰヨハネ3:2)
+ パウロ:
パウロも「私たちの卑しいからだを,ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです」(ピリピ3:21)と言っている.
(2) 主の復活のからだについて言っている。
+ ある意味において普通のからだのようであるが,またある意味においては異なっている.
+ ある時にはすぐ主だと認められているが(マタイ28:9,ヨハネ20:19),すぐには分らなかったこともある.- 特にエマオの途上での例がそうである.(ルカ24:16)
+ 主は戸を閉めて室内にいる弟子たちのもとへ突然現れたり(ヨハネ20:19),あっという間に視界から消えたりした. (ルカ24:31)
+ 主は自分が肉や骨を持っていると語り,食物を食べさえした.(ルカ24:39ー43)
+ よみがえられた主は,時間,空間の持つ制限に影響されないのである.
+ パウロはこれを「御霊のからだ」(Ⅰコリン15:44)と呼び,肉のからだとは異なって,栄光と力という性質を受けると告げている.(Ⅰコリン15:42以下)
+ 信者の復活の時には,このようになることを示しているようである.