聖書はなぜ信じられるのか?
聖書は世界のベストセラー。聖書の著者はだれなのでしょうか。聖書には、考古学、歴史学上の証拠はあるのでしょうか。
聖書は不朽の名作です。多くの人々の人生に影響を与えました。
「私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。」ゲーテ(ドイツの作家)
「私の生涯に最も強い影響を与えた書物は聖書である。」マハトマ・ガンディー(インド独立の父)
「聖書は踏み迷う道を照らす輝かしい光であり、乾く旅路の清い流れである。」賀川豊彦(社会運動家・生協創業者)
現在、書店で販売されている聖書は、1冊の本に装丁されています。しかし実際には、聖書は66の書物の合本です。前半の39巻が旧約聖書。後半の27巻が新約聖書です。旧約、新約の「約」とは契約のことです。神と人との契約が聖書なのです。
旧約聖書は、前15世紀から前5世紀ごろに書かれたものです。神が宇宙万物、そして人類も創造しました。しかし人類は神に背を向け、自分勝手な道に向かっていきました。全人類の罪を解決するために、神が救世主(メシア)を送ることを、旧約聖書は預言しています。
新約聖書は、西暦50年代から90年代に書かれました。旧約聖書が語った救世主がイエスであることを、新約聖書は立証しています。
聖書には、歴史的な出来事がたくさん描かれています。いつ、どこで、だれが、どうして、どうなったのかが、詳細に書かれています。聖書が扱う歴史は、近くて2,000年前、古くは4,000年以上も前の出来事です。遺跡から出土した考古学的発見から、断片的に、聖書の状況証拠を得ることができます。また、同時代の歴史家たちの著作に記載があるケースもあります。
本稿では、聖書の信憑性を考古学、歴史学の観点から論じていきます。その議論に入る前に「聖書はいったいだれが書いたのか」という質問について考えていきましょう。
だれが聖書を書いたのか?
聖書は1,500年以上の期間、40人以上の著者によって書かれました。聖書記者たちは、年齢も、職業、立場もさまざま人たちでした。書き方のスタイルも違います。切り口も多種多様です。40人は、別々の時代に生きた人々でした。一堂に会して、編集会議もできません。しかし聖書全体が同じテーマで、論理的にも首尾一貫しています。矛盾もありません。
聖書は、全世界を創造した神からの啓示の書です。しかし神は、ご自分に忠実な人々を用いて、聖書を記させました。聖書自身はこう説明しています。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」※1
聖書は「神の霊感」によって書かれました。「神の霊感」とは、神が特別に聖書記者に働きかけたことを指します。聖霊なる神は、聖書記者に書く意欲を与えました。聖書記者に取材源を提供し、インタビューも導きます。裏付けとなる資料も提供しました。執筆作業も、神が記者の知性に働きかけました。推敲の過程も、校正、校閲に至るまで、神の特別な助けがあったのです。
神は、聖書記者それぞれの個性を用いました。聖書は、私たちが理解できる言葉で、神について、人生について説明します。聖書は、私たちが人生の目的をもち、情熱をもって生きる助けを与えます。聖書には、心通じる人間関係への鍵もあります。聖書は、神に信頼して生きるように、私たちを励ますものです。神の力と導きを受け取り、神の愛を体験できるように、聖書が私たちを導くのです。
でも、聖書に書かれた内容は、本当に信頼に値するものなのでしょうか。AD.18世紀に入り、人々は合理主義の観点で、歴史を見るようになりました。理性に反すると感じるものは、切り捨てるようになったのです。フォイエルバッハは「人が神をつくりだした」と語りました。ニーチェは「神は死んだ」と言い、マルクスは「宗教はアヘンだ」と主張しました。
聖書は、単なる神話に過ぎないと考えられるようになりました。しかし19世紀後半から、考古学が発展しました。国際情勢でも、中東での遺跡の大規模な発掘作業が許されるようになりました。放射性炭素同位体による年代測定法で、出土品の年代の特定ができるようになりました。20世紀になり、考古学が聖書の史実性を証明するようになったのです。
考古学的立証
20世紀に入り、考古学は聖書に登場する王や都市の名称、歴史的出来事が書かれた碑文を次々と発掘しています。その中には歴史家たちが、その存在を疑った人物や場所もありました。考古学的発見が、聖書の記載の正しさを証明しています。
一つ例をあげると、ヨハネの福音書5章に、イエスがベテスダの池で、足の不自由な人をなおした記事が出てきます。「エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。」※2
ベテスダの池の周囲には5つの回廊があったことを、聖書は言及しています。しかし多くの聖書学者は、ベテスダの池が本当に存在していたのか、懐疑的でした。
しかし19世紀後半、エルサレムの神殿の丘の北側、聖アンナ教会の地下12メートルから、ベテスダの池と5つの回廊跡が発掘されたのです※3。この考古学的発見により、ベテスダの池の存在が証明されました。ベテスダには2つの池があり、池を「日」の字型に取り囲むように、5つの回廊が建っていたのです。
聖書には、非常に多くの歴史上の記載があります。聖書のすべての記事の裏付けを、考古学が与えたわけではありません。しかし考古学的発見が、聖書と一致しなかったことはありませんでした。著名なユダヤ人の考古学者ネルソン・グレック博士はこう語っています。「考古学的発見で聖書に反するものは、今まで出土したことはなかったと、確信をもって言うことができる。」※4。
シカゴ・トリビューン紙の元記者で作家のリー・ストロベル氏は、モルモン教の経典『モルモン書』についてこう記しています。
「モルモン教の教祖であるジョセフ・スミスは自著『モルモン書』を『この世で最も正確な書』と呼んでいるが、ここに記されている事件や出来事で考古学的に立証されたものはない。私は、モルモン教の主張を裏づける証拠があるかどうか、スミソニアン博物館に質問したことがある。そのとき、『考古学者はアメリカ大陸における考古学と、この本の主題との間に、何ら直接的な関係は見られないと言っています』というはっきりした答えが返ってきた。」※5
『モルモン書』に登場する人物、場所、国、名前……、どれをとっても考古学では特定できません。
一方、新約聖書『ルカの福音書』『使徒の働き』の著者であるルカは、多くの都市名を記しています。これらの古代都市の位置は現在、考古学ですべて特定されています。「ルカは32の州、54の都市、9つの島の名前を、一つも間違えることなく、記載している。」※6
考古学が聖書学に貢献
考古学的な発見が、聖書学の学説の誤りを明らかにした例もあります。伝統的に、旧約聖書の最初の『五書』(トーラー)の著者はモーセとされてきました。しかし『モーセ五書』の著者を疑う学説がありました。そう主張する学者は「モーセの時代、人類は法制度を生み出すほど、社会的に発展していなかった。何しろ、まだ文字すらも編み出していなかったからだ」と考えたのです。というのは、モーセが生きた今から3,400年以上も前の時代は、日本では新石器時代から縄文時代に移る時期です。その当時のまとまった文献は『モーセ五書』以外、現存していなかったからです。
しかし、考古学者がメソポタミアで、玄武岩のハンムラビ法典石碑を発見しました。「石碑には楔形文字で、ハンムラビ法典がはっきりと刻まれていた。この石板は、モーセ以前どころか、アブラハムの時代以前のものであることが判明した。モーセよりも実に600年も前のものだったのだ。」※7
当時、すでに文字があり、高度な法的文書も存在していました。モーセが口伝を書物にまとめ、律法を文字で書き記したことも、十分にあり得ることです。考古学は、聖書の歴史的精度に確証を与えています。
聖書と考古学的発見については、こちらの補足資料もご確認ください。
今日の聖書はオリジナルと同じか?
皆さんの中には、こう考える方がいるかもしれません。「聖書は何度も翻訳が繰り返されてきたはずだ。度重なる翻訳の過程で、意味が少しずつ変わってきた可能性はないのか?」もし聖書翻訳が、他の言語からの重訳なら、その可能性も残ります。しかし現在の聖書翻訳は、原典のギリシア語、ヘブル語、アラム語の「公認標準本文」を底本にして、行われています。
ただ、聖書記者の直筆本文は、現存していません。実は、他の著名な古代文書も、著者の直筆本文は残っていません。活版印刷がない時代、価値ある書物は手書きで、書き写されてきました。現在残っているのは、写本だけです。聖書も、手書きによる写本が繰り返され、現在に伝わってきたのです。
ある方は写本と聞くと「写本の過程で、誤字や脱字、改ざんが行われた可能性もあるはずだ……」と考えることでしょう。「コピーのコピーまたコピーと、複製が繰り返されたのなら、伝言ゲームのように、内容が変わった可能性もあるだろう……」と普通は考えます。
聖書の写本の作業は、細心の注意が払われて、行われてきました。確かに写本は人間の作業です。文字の書き方の癖もあります。誤字や脱字もあり得ます。故意に改ざんされる可能性も残ります。しかし、聖書の写本の正確さ、精密さも、考古学が証明したのです。
20世紀最大の考古学的な発見は『死海文書』でした。『死海文書』は1947年、現在のイスラエル、死海の北西の荒野の洞窟から発見された膨大な量の古代文書群です。迷子になった羊を探していた羊飼いの少年が、荒野の洞窟に石を投げ入れると、ガッシャンと陶器が割れる音がしました。少年が洞窟に入ると、無数の素焼きの瓶に入った古代文書が出てきました。
これらの文書を解析した結果、前1世紀ごろの古代文書であることが判明しました。発見された大量な文書の中から、一部欠損があるものの、旧約聖書のほぼすべての書巻の写本が出てきたのです。
それまで存在した、最古の写本は『レニングラード写本』でした。『レニングラード写本』が作成されたのは、1,008年です。「死海文書」はさらに1,000年以上、時代を遡るものです。この1,000年の時代の差がある2つの写本を比べると、99.5%が同じ内容でした。違いとされる0.5%も、文字の綴り方の違いに過ぎません。内容が変わるような、文章構造の違いは見つかりませんでした。1,000年間、世代から世代へと細心の注意を払って、写本作業が続けられたことが証明されました。
『レニングラード写本』を中心に、『死海写本』など主要な古代写本と見比べ、ドイツ人の学者ルドルフ・キッテルが1933年に旧約聖書の「公認標準本文」を出版。その第5版から、日本語の旧約聖書が翻訳されています。
新約聖書の信頼性
新約聖書の信頼性はどうでしょうか。古代の文書はパピルス紙か、羊皮紙に書かれました。パピルスや羊皮紙の保存期間は、そう長くはありません。活版印刷がない時代、新約聖書も手書きで書き写されてきたのです。
新約聖書は、50年代から90年代の間に書かれました。当時の公用語、ギリシヤ語で書かれています。旧約聖書同様、聖書著者の直筆原本は現存していません。原本から書写が繰り返され、広く諸教会に回覧されました。その結果、現在見つかっているギリシヤ語の写本は、断片のものを含め、5,686点にのぼります。翻訳されたものも含めると、24,970点が現存しています。
写本がこれだけ大量にあるので、主要な写本を比較する作業を丁寧に行うと、実質100%の原本を復元することができるのです。圧倒的な写本群から「公認標準本文」が、20世紀になって出版されました。ドイツの聖書学者ネストレとアーラントが校訂したギリシア語の「公認標準本文」から、現在の日本語聖書が翻訳されています。
最古の写本
古代文書を研究する学問を、書誌学と言います。書誌学では、その写本が直筆原本と、どれくらいの時間差があるかに注目します。原本と写本の期間が長いと、その間に何世代も写本が繰り返されたことになります。コピーにコピーが重ねられ、何世代も繰り返されると、ミスが生じる可能性も大きくなります。写本と原本の期間が短ければ、その分オリジナルに近づくはずです。
現存する新約聖書、最古の写本が『ジョン・ライランズ写本』です。この写本は『ヨハネの福音書』の数節の断片に過ぎません。調査の結果、130年ごろに作成されたものと判明しました。『ヨハネの福音書』は80−100年の間に書かれました。原本との差はわずか30から50年です。この年代差は、他の古代文書と比較すると、極めて短期間であることがわかります。
他の古代文献
プラトンの著書『国家』の存在を疑う歴史学者はいません。『国家』は前380年ごろに書かれました。しかし現存する最古の写本は、西暦900年のものです。プラトンの原本から1,300年の開きがあります。しかも現存する『国家』の写本は7点だけです。
カエサルの著書『ガリア戦記』は前60-44年ごろに書かれました。現存する最古の写本は、カエサルが執筆してから1,000年以上後のものです。現存の写本は10点のみです。
カエサル、プラトン、アリストテレス、ホメロスの著作の存在を疑う歴史学者は、1人もいません。これらの古代文献と比較しても、新約聖書の写本数は圧倒的です。また新約聖書は、現存する最古の写本と原本と差が、驚異的に短いこともわかります。書誌学から見ても、新約聖書は最も信頼できる古代文書です。
新約聖書と古代文献との比較に関してはこちらをご覧ください。
福音書の信頼度
『福音書』とは新約聖書の最初の4つの書物です。イエスの生涯の記録が『福音書』です。新約聖書には『福音書』が4つ収録されています。4つの『福音書』は、4人の著者がそれぞれの観点でまとめています。
歴史家がある人物の実在を判断するとき「この人物について記した文書が他にもあるのか?」を探し、検討します。複数の文書が残っていると、その人物の姿が立体的に見えてきます。
例えば、織田信長の生涯を調べるとします。多くの研究者や作家が、織田信長について調べています。学術書から歴史小説まで、数多くの資料があります。資料を読み比べると、多角的な信長像を見ることができます。信長の家族構成、家来の配置、天下とりの過程、楽市楽座の設立、本能寺の変……。数多くの学術書、歴史小説から、複合的に情報を得て、検討することができるのです。
イエスの場合、新約聖書に4つの『福音書』が保存されています。4人の著者が別の角度から、イエスの人生を詳細に記録しています。
マタイ | マルコ | ルカ | ヨハネ | |
イエスは処女から生まれた | 1:18-25 | - | 1:27, 34 | - |
イエスはベツレヘムで生まれた | 2:1 | - | 2:4 | - |
イエスはナザレに住んだ | 2:23 | 1:9,24 | 2:51,4:16 | 1:45, 46 |
イエスもバプテスマのヨハネから洗礼を受けた | 3:1-15 | 1:4-9 | 3:1-22 | - |
イエスはいやしの奇跡を行なった | 4:24など | 1:34など | 4:40など | 9:7 |
イエスは湖の上を歩いた | 14:25 | 6:48 | - | 6:19 |
イエスは5千人に給食した | 14:7 | 6:38 | 9:13 | 6:9 |
イエスは人々を教えた | 5:1 | 4:25,7:28 | 9:11 | 18:20 |
イエスは社会的弱者と時間を過ごした | 9:10,21:31 | 2:15, 16 | 5:29,7:29 | 8:3 |
イエスは宗教指導者と論争した | 15:7 | 7:6 | 12:56 | 8:1-58 |
宗教指導者がイエスの死刑を企てた | 12:14 | 3:6 | 19:47 | 11:45-57 |
イエスはローマ総督に渡された | 27:1,2 | 15:1 | 23:1 | 18:28 |
イエスはむちで打たれた | 27:26 | 15:15 | - | 19:1 |
イエスは十字架につけられた | 27:26-50 | 15:22-37 | 23:33-46 | 19:16-30 |
イエスは墓に葬られた | 27:57-61 | 15:43-47 | 23:50-55 | 19:38-42 |
イエスは復活し、弟子たちに現われた | 28:1-20 | 16:1-20 | 24:1-53 | 20:1-31 |
『福音書』のうちの2つは、マタイとヨハネが書きました。マタイとヨハネは直接、イエスと接した弟子です。彼らは3年間、イエスと行動をともにしました。2人は、イエスを直接目撃した証人なのです。
他の2つの福音書はどうでしょう。マルコは、イエスの愛弟子ペテロの宣教旅行に同行しました。旅行中、ペテロから聞いたメッセージを記録に残したのが『マルコの福音書』です。
ルカは、パウロの宣教に同伴した医者でした。ルカは、多くの目撃証人にインタビューをし、聞いた内容を書物にまとめました。それが『ルカの福音書』です。
四福音書は、4人の証人の供述調書です。四福音書が書かれた当時、イエスを直接知る人たちがまだ、生きていました。もし四福音書に間違いがあったら、生き残っていた証人たちが、異議を唱え、文書を修正したはずです。しかし初代教会は、四福音書をそのまま受け入れたのです。
当時の人々は、イエスに関する証言を口伝で、度々聞いていました。諸教会には、イエスの生涯に関する共通認識があったのです。それぞれが聞いてきた口述の証言と照らして、四福音書の内容を確認したはずです。精密な検証作業のもとで、四福音書をイエスの正確な記録だと、諸教会は受け入れたのです。
福音書の記事の一つを、こちらから読むことができます。
福音書執筆の理由
イエスの死と復活から数十年は、わざわざイエスの生涯を記録に残す必要はありませんでした。当時の人々はみな、イエスの直接の目撃者だったからです。イエスと同時代のエルサレムの住民は、イエスの言動をよく知っていたのです。※8
しかしイエスの伝えた救いのメッセージが、エルサレムからはじまって、世界各地へと広がっていきました。世界中のだれもが、イエスの目撃証言を直接、聞けるわけではありません。西暦50年頃になると、イエスの直接の目撃者たちも、次々と寿命で死んでいきました。イエスの生涯と働きを正確に伝えるために、筆記した記録を残す必要が生じたのです。
イエスのことをもっと知りたい方は、「イエスは神か 偽善者か?」の記事をご覧ください。
本物と偽物
初代教会では早い段階から、新約聖書の各書を「信仰生活の規範」として受け入れてきました。新約聖書の各書は、イエスの直接の弟子か、弟子の証言を聞いて記録に残した人々が書いたものです。新約聖書の著者たちは、イエスと特別に親しい関係を持つ人物でした。
ヤコブとユダはイエスの弟でした。ヤコブとユダは初め、兄であるイエスをキリストだとは、信じませんでした。しかし十字架と復活を目撃し、彼らもイエスを救い主だと信じるようになったのです。のちにヤコブとユダは教会のリーダーになっています。
ペテロは、イエスの12弟子の1人でした。イエスと3年半、一緒に旅行をし、寝食をともにしました。『ペテロの手紙』には、イエスと直接話し、時間を過ごしたペテロの視点で、当時の教会への励ましのメッセージが書かれています。
新約聖書の多く部分を執筆したパウロは、もともとユダヤ教のエリートでした。イエスに激しく反対し、教会に危害を加えていました。しかし教会を取り締まる旅行の最中、復活のイエスに出会います。このイエスとの奇跡的な出会いが、パウロの人生を180度変えました。イエスを大胆に伝える人に変えられたのです。
新約聖書の記述は、多くの証人の証言の上に成り立っています。聖書記者たちは細心の注意を払い、裏付けを取りました。多くの証拠のもと、誠実に記事を執筆したのです。
後に、イエス伝の偽物が、数多く出現しました。多くの読者を得るために、イエスの弟子が書いたように、著者名を偽った書物です。実際には、後世の作家が、彼らの私見から好き勝手にイエス伝を書いたのです。
諸教会は、これらの書物を「偽典」と呼び、新約聖書「正典」から排除しました。「偽典」の記載は曖昧で、読めば「正典」との違いは明白です。初代教会もどの書が「偽典」かをすぐに見抜きました。
「偽典」は時代を経て、書かれたものです。例えば『ユダの福音書』は130-170年頃、「グノーシス主義」という異端によって書かれました。著者とされたユダは、この時すでに死んでいました。『トマスの福音書』も「偽典」です。『トマスの福音書』は、140年ごろに書かれました。十二弟子の1人トマスの名前を勝手に借りて、書かれた書物です。
「偽典」には、イエスの教えや、旧約聖書の記事と、明らかに矛盾する内容が多く含まれています。歴史上の出来事の誤認、地名・人物名の過ちも多くあります※9。教会はどのように「偽典」を排除して、現在の新約聖書「正典」を認定したのでしょうか。
正典の成立
西暦367年、当時の教会のリーダー、アタナシウスが新約聖書「正典」として、27の書物をあげます。この27書は、今日私たちが手にする新約聖書と同じです。その後の神学者たち、ヒエロニムス、アウグスチヌスも、この27書を新約聖書の「正典」としました。しかしすでに1世紀から、全教会の中にこの27書が「正典」だという共通認識があったのです。
新約聖書はギリシア語で書かれています。イエスのことが世界中で語られ、ギリシア語圏を越えて、教会が開拓されました。他の言語を話す人々のために、聖書を翻訳する必要が出てきました。同時にイエスの教えを歪める異端も起こり、異端の「経典」も次々と出現しました。そのため、どの書物が「信仰生活の基準」となるのか、新約聖書の「正典」はどの書物かを、明確に決める必要が出てきました。
最終的には、399年のヒッポ教会会議が、新約聖書27巻を「正典」だと確認しました。その4年後の第3回カルタゴ教会会議で、再び新約聖書「正典」の27巻が公布されたのです。
歴史家による立証
聖書は、正確で緻密な写本作業により、原本のメッセージが正確に保存されてきました。それならば、その聖書の記事は、当時の歴史家、著述家たちの記述と一致するのでしょうか。
四福音書には、ナザレのイエスが行った数多くの奇跡が記録されています。イエスはローマ帝国により死刑にされ、3日後に死から復活しました。数多くの古代の歴史家の記載が、イエスの生涯、弟子たちのその後の歩みを立証しています。
コルネリウス・タキトゥス(55-120)は1世紀ローマの歴史家です。最も正確な記述を行なった古代の歴史家の1人として、歴史学では評価されています※10。以下はタシトゥスの著作の抜粋です。ローマ皇帝ネロは「クリスティアノイ(クリスチャン)に、最も手の込んだ拷問を行なった。……クリスティアノイの名前の由来であるクリストス(キリスト)は、皇帝ティベリウスの治世に、総督ポンテオ・ピラトにより、極刑に処せられた。」※11
ユダヤ人歴史家のフラウィウス・ヨセフス(38-100)は、その著書『ユダヤ古代誌』の中でイエスについて、こう書いています。「この頃、イエスという賢人が現れた。イエスはだれもが驚く奇跡を行った。イエスは多くのことを教えた。ユダヤ人とギリシヤ人から、彼に従う者が起こされた。彼こそがクリストス(キリスト)だったのである。ユダヤ人指導者たちが告訴すると、ピラトは十字架刑の判決を下した。……彼は3日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。」※12
スエトニウス、小プリニウス、タロスも、クリスチャンの礼拝の様子と、教会に対する迫害について書いています。彼らの記載は、新約聖書の記事と一致しています。
ユダヤ教の『タルムード』も、偏見があるものの、イエスの生涯に起こった出来事を記録しています。タルムードにはこう書かれています。「イエスはある夫婦から生まれた。イエスは多くの弟子を集めたが、冒涜な教えを広めた。イエスは奇跡を行なった。しかしそれらの奇跡は魔術であり、神からのものではなかった。」※13 イエスに非常に否定的ながらも、イエスが歴史的に存在したことを、『タルムード』も認めているのです。
当時の歴史家たちの記述は、注目に値する情報です。本来、歴史家たちの関心は、政治面、軍事面での指導者でした。しかしローマ帝国の辺境の1ラビ(ユダヤ教の教師)について、彼らがあえて記載しているのです。歴史家たちはユダヤ人、ギリシア人、ローマ人でした。当然、彼らはクリスチャンでもありません。しかし彼らの記載は、新約聖書が記す出来事と一致しているのです。
聖書は信頼できるのか?
聖書は歴史的事実に基づいているのでしょうか。信仰が真の価値を持つには、私たちの信仰が事実に根拠を置いていることが大切です。
一つ例をあげましょう。あなたが東京行きの飛行機に搭乗するとします。航空会社を信用しなければ、その飛行機の航空券を買うことはありません。自分の命を、その航空会社に預けることになるからです。「この飛行機は、十分な燃料が搭載されているはずだ。飛行機の整備もしっかり行っているだろう。パイロットは十分に訓練を積んで、経験も豊富だろう。乗客全員が保安検査を通り、テロリストは乗っていないはずだ……。」ただこう考えているだけでは、東京には到着しません。予約した航空券を購入して、飛行機に乗り込まなければなりません。
実際に、あなたを東京まで運ぶのは、飛行機やパイロット、航空会社のシステムです。大切なのは、あなたが信じる「対象」です。信じる対象である航空機が、あなたを目的地へと安全に運ぶのです。
新約聖書は、イエスについての正確で、信頼できる情報を提供しています。旧新約聖書全体に、数多くの証拠と裏付けがあります。聖書は信頼できるのです。
本稿では、以下の内容を取り上げました。
①考古学が聖書に確証を与えています。
②聖書翻訳は原典から行われています。
③写本の正確さは注目に値します。
④写本数の多さ、写本年代の近さは圧倒的です。
⑤直接の証人が歴史的事実を書いたものです。
⑥偽典は正典制定の過程で排除されました。
⑦聖書は当時の歴史家とも一致しています。
これらすべての証拠が、聖書信仰の堅固な基礎となっています。今日私たちが読む聖書は、聖書記者が書いたものを、ほぼ完全に再現したものです。聖書を読むとき、聖書記者が体験した神のわざを、あなたも追体験できるのです。
聖書著者の一人、ヨハネは聖書についてこう結論づけています。
「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」※14
本稿の内容が、聖書に記されているイエスを、あなたが信じる上で、根拠を与えるものとなったのであれば、幸いです。
聖書には何が書かれているのでしょうか?聖書の中心人物であるイエスの生涯をヨハネの福音書から学びませんか?無料Email聖書通信講座についてはこちらのページをご覧ください。
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脚注: (1) 2テモテ3:16
(2) ヨハネ5:2
(3) Strobel, Lee. The Case for Christ (Zondervan Publishing House, 1998), p. 132. 邦訳は リー・ストロベル著, 峯岸麻子訳『ナザレのイエスは神の子か?』いのちのことば社, 2004, p.160
(4) Nelson Glueck, Rivers in the Desert: History of Negev. Jewish Publication Society of America, Philadelphia, 1969, P. 176.
(5) Strobel, p. 143-144. ストロベル前掲書 p.173
(6) Geisler, Norman L. Baker Encyclopedia of Christian Apologetics (Grand Rapids: Baker, 1998).
(7) McDowell, Josh. Evidence That Demands a Verdict (1972), p. 19.
(8) 使徒2:22, 3:13, 4:13, 5:30, 5:42, 6:14を参照
(9) Bruce, F.F. The Books and the Parchments: How We Got Our English Bible (Fleming H. Revell Co., 1950), p. 113.
(10) McDowell, Josh. The New Evidence that Demands a Verdict (Thomas Nelson Publishers, 1999), p. 55. 邦訳は ジョシュ・マクドウェル著, 中村光弘訳, 川端光生監修『徹底検証キリスト教・第1巻』いのちのことば社, 2007
ジョシュ・マクドウェル著「理想の自分になる秘訣」をご覧ください。
(11) Tacitus, A. 15.44.
(12) Wilkins, Michael J. & Moreland, J.P. Jesus Under Fire (Zondervan Publishing House, 1995), p. 40. 『ユダヤ古代誌』第XVII巻3章3節(通算第63-64節)
(13) Ibid.
(14) ヨハネ20:31
「聖書に矛盾があるのか」をご覧ください。
聖書は真実か?その著者 歴史 考古学的根拠は… (studentinjapan.com)