教師の権威と使命
- エペソ書4:11-12 -
[インマヌエル 下巻.10-18]
[エペソ書4:11-12] 「11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、」
*** 教会教育の目的は、イエス・キリストの教えと行いを教え、守らせることである(エペソ人への手紙4:13)。したがって、私たちは教師の権威とその使命をよく理解しなければならない。
1. 教会の教師とはどのような人か。
(1) 教師とは「先生」または「教える者」である。(使徒行伝13:1、第一コリント12:28、エペソ書4:11、第二テモテ1:11)
(2) 教会の教師とは、真の教師であるイエス・キリストを通して贖いの恵みを体験した後、救いの福音を他の人に教え、信じさせ、従わせる者である。
2. 教会の教師にはどのような権威があるのか?
◎ 教会の教師には神的な権威がある。その理由は、三位一体の神ご自身が教師の働きに関与しておられるからである。
(1) 神が立てられた勤めである。
① 神が教会の中に数人を立てて、教師とならせた。
「神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。」(第一コリント12:28)
「11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、」 (エペソ書4:11-12)
② 神は両親に教師としての権威を授けられた。
「6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」(申命記6:6-7)
(2) イエス・キリストが立てられた勤めである。
① イエス・キリストは教師を立てられただけでなく、その御名の権威も与えられた。
「19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 (マタイ福音書28:19-20)
② 教師として立てられた者は、当時の使徒たちであり、今日の教師たちであると言える。
(3) 聖霊が立てられた勤めである。
① 聖霊は、福音の働き人たちの教師として働かれた。
「12 わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。...」(ヨハネ福音書16:12-15)<ヨハネ福音書14:26>
② 聖霊は教える賜物を教会の教師たちに与えられた。
「6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。 7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。」 (ローマ書12:6-8)
3. 教会の教師に与えられた使命とは何か。
(1) 失われた羊を探すことである。これは根本的かつ完全な使命である。(ルカ福音書19:10)
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」」(ルカ福音書19:10)
(2) あらゆる善い業を行うのに欠けるところがないように備えさせることである。(第二テモテ3:17)
「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(第二テモテ3:17)
(3) この世において塩と光として、主イエスの御名を証しすることである。(マタイ福音書5:13-16)
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ福音書5:16)
(4) 自分自身を神にささげることに励む者となることである。(第二テモテ2:15)
「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(第二テモテ2:15)
(5) 神の栄光を現して生きることである。(第一コリント10:31、第一ペテロ4:9-11)
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(第一コリント10:31)
*** 教会の教師は、神ご自身が立てられる、まことに尊い勤めである。教師は聖徒を全うさせ、奉仕の業を行い、キリストの体を建て上げる働きをする。それゆえ、私たちは主が喜ばれる教師となることを切に願わなければならない。
