長老たちへの勧め
- 第一ペテロ5:1-4 -
[インマヌエル 下巻.6-22]
[第一ペテロ5:1-4] 「1 そこで、私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり、キリストの苦難の証人、また、やがて現われる栄光にあずかる者として、お勧めします。2 あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。3 あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。4 そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」
*** 神と正しい関係を持つ者は、人とも正しい関係を築く。したがって教会の働き手たちは、神の御心に従って神を愛し隣人を愛する人生を歩むべきである。本文の内容は使徒ペテロが教会の指導者である長老たちに勧める言葉である。また私たちは神の恵みによって救われたキリストの証人であり、現れる栄光にあずかる者であるため、この言葉は私たちすべてにも当てはまるものである。
1. 強制されてするのではなく(本文、第一ペテロ5:2)
(1) 福音の働きを体面や職業的名誉欲で行わず、感謝し喜び楽しみながら、進んで行うべきである。
(2) 主のみわざをおろそかにしたり、無理にしたりしてはならない。
「主のみわざをおろそかにする者は、のろわれよ。その剣をとどめて血を流さないようにする者は、のろわれよ。」(エレミヤ書48:10)
2. 神に従って(本文、第一ペテロ5:2)
(1) 教会の指導者は神の御心によって立てられた。
(2) 福音の働き人は自らの所属意識を重要に認識すべきである。
- 誰によって召され立てられたかを悟らねばならない。人が立てたのではなく、神の御心に従って立てられたことを悟り、忠実に仕えるべきである。
(3) パウロは書簡の冒頭で繰り返し「神の御心に従って使徒として召された」と記している。<ローマ書1:1, 第一コリント1:1>
- パウロは使命によって生き、使命によって死ぬことを切望し、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(第二テモテ4:7)と、神の御心に従って忠実であったことを告白した。
3. 自分から進んでそれをなし(本文、第一ペテロ5:2)
(1) 「自分から進んで」という意味で、神の御業は強制ではなく自分から進んで行わなければならない。
- 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ書6:8)と自ら進んで願った。
(2) 今日においても神はこの時代の志願する働き手を求めておられる。
4. 卑しい利得を求める心からではなく(本文、第一ペテロ5:2)
(1) 不義を貪らず清い良心を持つべきである。<第一テモテ3:8>
(2) 名分を盾に貪欲に陥る行為を慎むべきである。<コロサイ書3:5>
5. 心を込めてそれをしなさい(本文、第一ペテロ5:2)
(1) 他人に対して強圧的な権力行使をするのではなく、あくまで説得力を持って導いていくことである。
(2) 自分に与えられた権限を過度に主張してはならない。<ガラテヤ書6:6>
6. 人たちを支配するのではなく(本文、第一ペテロ5:3)
(1) 自分の職務に愛着を持って働くとき、その価値と意味を見出すことができる。
(2) その喜びは、自分の召命感に深く確信を持つときに得られる。
7. 群れの模範となりなさい(本文、第一ペテロ5:3)
(1) 教会の指導者たちは模範を示しながら導くことが、世俗の指導者との違いである。<第一テモテ4:15>
(2) 今、私たちは教会においてすべての人々の模範となっているか? <第三ヨハネ1:9-12>
+ 神に仕えることに模範となれ。 + 教会に仕えることに模範となれ。 + 教役者に仕えることに模範となれ。 + 聖徒を愛することに模範となれ。 + 献金を捧げることにおいて模範となれ。 + 伝道することに模範となれ。+ 祈りにあって模範となれ。 + 奉仕と忠実にあって模範となれ。 + 家庭生活において模範となれ。 + 社会(職場)生活において模範となれ。 ....
[本文、第一ペテロ5:4] 「そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」
*** 「大牧者」は、主イエス・キリストである。主は再び来られる。主の再臨の日に、主は忠実な僕たちに栄光の冠をお与えになる。神は報いてくださる方である(ヘブル書11:6)。主イエスは、福音の働き人たちと教会の長老たちに、しぼむことのない栄光の冠をお与えになる。- 主は、私たちが教会に委ねられた者として、どれほど忠実であるかをご存知である。