すばらしい喜びの知らせ
- ルカ福音書2:8-14 -
[ルカ福音書2:8-14]「8.さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。9.すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。10.御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。11.きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12.あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」13.すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。14.「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
序言
「15.御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」16.そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。17.それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。」
1. 救い主、イエスがベツレヘムというダビデの町で、お生まれになりました。
[ルカ福音書2:1-7]「1.そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。2.これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。3.それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。4.ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、5.身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。6.ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7.男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
+ 神は旧約聖書(ミカ書5:2)では、メシアがユダの氏族のうちから出ると約束しました。
[ミカ書5:2]「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」
☆ ガリラヤのナザレとベツレヘムは直線距離170Kmである。しかし、ガリラヤを回ってエリコとエルサレムを経てベツレヘムに行くと約230kmに達し、兵士ではなく一般人なら一日に約30km程度を移動することで少なくとも10日以上かかる。
2. みどりごイエスは、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。
[本文 7、12、16]「7.男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」、「12.あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」、「16.そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。」
= ヨセフが妊婦を同行しても宿屋には彼らのいる場所がなかったというので、どれだけの人が集まって複雑だったか推測が行く。神の御子メシアが馬小屋で誕生し、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。
+ イエスの誕生は神がご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた。神が人になりました。それも卑しい姿で来られた。イエスは誕生の時からそうでした。
[ヨハネ福音書1:14]「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
+ 使徒パウロは「6.キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、7.ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。8.キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。(ピリピ書2:6-8)」と言われました。
3. イエス・キリストの誕生は、民全体のためのすばらしい喜びを知らせでした。
[本文、10-11節]
+「すばらしい喜びを知らせ」=「救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
「救い主」、「主キリスト」は、人間を罪と不幸と死と地獄の刑罰から救ってくださる方です。この世では、これよりも重要で、より嬉しく幸せなことはありません。まさにこの御業のためにイエス・キリストが来られました。「イエスは主キリストです」。
+ イエスは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ福音書3:16)」と言われました。
4. イエス・キリストの誕生は、この世に住む人々に平安を与えるためでした。
[本文、13-14節]
+神が救い主イエス・キリストを通して与えられた救いの結果は平安でした。=イエス・キリストは平安のないこの世に平安を与えられました。
+ 救い主、イエスは、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。(ヨハネ福音書14:27)」、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ福音書11:28)」と言われました。
+ 使徒パウロは、「どうか、平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。(テサロニケ第二3:16)」と言われました。
結言
私たちが滅びることなく、永遠のいのちを持つため、この世に来られた救い主イエス・キリストを信じ、受け入れて救われましょう。それによって世が与えることのできない、ただ救世主、キリストだけが与えられる平安を享受しましょう。そして救われた私たちは主なる神に常に感謝し、「ばらしい喜びの知らせ」を他の人々に宣べ伝えましょう。「救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」