エサウとヤコブの誕生とそれぞれの素性
創世記 25章19節~34節
神の導きによって結ばれたイサクとリベカでしたがなぜか20年間も子どもが与えられませんでした。その間に父アブラハムともうひとりの妻ケトラの間に6人の子どもが生まれます。イサクとリベカの思いはいかばかりであったことでしょう。聖書はリベカが「不妊の女」(「アカ―ラ―」עֲקָרָה)であったと記しています。彼らはとても辛い思いをしていたのではないかと思います。
そしてイサクは妻リベカのために祈願しました。
[創世記25:21] イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった。
+ 25章21節には「祈願する」(=熱心に祈る)と訳された動詞「アータル」(עָתַר )がひとつは能動態(パアル態)で、もうひとつは受動態(ニファル態)で2回出てきます。前者は人が神に「祈る」という形で、後者は神が人の「祈りに答えられる」という形で使われています。創世記ではこの節だけに使われています。旧約全体の頻度は20回。
さて、20年という年月はリベカが完全に不妊の女であることを意味しています。主はイサクの祈りに「答えられた」ことで、エサウとヤコブの双児が生まれるのです。男女の営みとして自然に生まれた子どもたちではなく、祈りによって誕生したことが強調されています。ところがこの双子(二卵性双生児)の運命は、イスラエルの歴史においてリベカに預言されたように展開して行くのです。
1. 双児(エサウとヤコブ)の誕生
結婚して20年目に妻リベカは身ごもりますが、子どもたちがその胎の中で「ぶつかり合うようになった」(22節)とあります。「ぶつかり合う」とは「ラーツァツ」(רָצַץ)の強意形のヒットパエル態で、旧約ではここ1回限り使われています。「ラーツァツ」(רָצַץ)の基本的な意味は「砕く、迫害する」という意味ですが、ヒットパエル態では「押し合う、ぶつかり合う」という意味になります。ヒットパエル態は「互いに」という意味合いもあるので、「互いに蹴り合い、喧嘩していた」と訳す人もいます。母の胎内において、胎児がすでにこのようなことをしていたわけですから、リベカも驚いたはずです。しかしこれはこれからのことを予感させています。リベカはとても心配になり主を求め続けたとき、主は「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る」と仰せられました。しかも「兄が弟に仕える」と。この啓示をイサクは知っていたのかどうか聖書はしるしていません。少なくともこの啓示を知らされたリベカにとっては、当然、育児において影響を受けたはずです。事実、リベカは弟ヤコブを偏愛しました。父イサクも別の理由でエサウを偏愛しました。
出産の時、最初に胎内から出てきたのはエサウ。後からエサウのかかとをつかんで出てきたのはヤコブでした。彼らの名前は親が名付けたものですが、エサウは「赤くで、全身毛衣のようであった」ことからそのように名づけられました。その特徴と性格は「巧みな猟師、野の人となり(野に親しむという意味)」、一方のヤコブは「穏やかな人」(中沢訳は「内気な人」、岩波訳は「非のうちどころのない人」、関根訳は「心一途な人」と訳しています)とあります。ヘブル語は形容詞の「ターム」(תָּם )で、「完全な、純真な、潔白な、穏やかな、温和な」と訳せます。それは道徳的な意味ではなく、神に対して持っている心の態度において完全という意味です。そしてヤコブは「天幕に住んでいた」とあります。「天幕に住む」とは、当時、遊牧生活を送っていた父イサクの父と同じ仕事をするという意味でポジティブな意味があります。むしろ、兄のエサウの方が聖書的にはネガティブでした。というのも、エサウは「巧みな猟師」(狩人)とあり、「狩人」はヘブル語で「ツァイド」(צַיִד)、つまりこの地上で最初の権力者となったニムロデと同じく勇敢な「狩人」(צַיִד)だからです。いずれにしても、エサウとヤコブは対照的な性格であったと言えます。
ヤコブは兄エサウの「かかと」(ヘブル語で「アーケーヴ」(עָקֵב)を掴んで生まれ出たことから、「かかとをつかむ」〔動詞「アーカヴ」(עָקַב) 〕者とされ、「ヤーコーヴ」(יָעֲקֹב)(固有名詞)と名づけられました。日本語では「ヤコブ」、英語ではJacobと表記されます。このことのゆえに、人を出し抜くとか、人の足を引っ張るというイメージを持たれたりしますが、ヘブル語にはそのような意味はありません。むしろ、聖書のヤコブに対する評価は霊的な事柄に対して純粋であったということです。
+ 29節~34節では、エサウがいかに霊的な事柄に対して無関心であったかを表わす出来事が記されています。腹を空かせてやってきた兄エサウが食べ物を求めた時にヤコブはすかさず言いました。「今すぐ、あなたの長子の権利(相続権)を私に売りなさい。」と(31節)。決して自分では得ることのできない長子の権利を一杯の赤い温物で売るように求めたのです。それはヤコブが常々願っていたことでした。長子の権利(相続権)を疎んじていたエサウはなんと一杯の煮物との交換という形で簡単にそれをヤコブに売ったのです。「長子の権利」ということばが、25章19~34節に4回(31, 32, 33, 34)出てきます。「初子」「初物」「初穂」と同じ語根を持つ「べホーラー」(בְּכֹרָה)です。長子の権利とは二倍の相続権を有し、かつ、家督権、霊的リーダーの権威を意味します。これらは長子にのみ与えられる特別な権利でした。ヤコブはその価値を知っていたのです。
2. 兄エサウと弟ヤコブとの因縁
兄のエサウはカナン人の娘を妻にしてはならないという事を基本的に知っていたはずにもかかわらず、40歳で自分の好みのままにカナン人の娘二人を妻にめとりました。そしてそれがイサクとリベカの悩みの種となりました。エサウは自分の妻が父や母の気に入らないのを知り、やがては叔父に当たるイシュマエルのところに行き、イシュマエルの娘の妹マハラテを妻としてめとりました(28:9)。しかし、これは両親の心を得るための人間的な浅知恵に過ぎず、神の御心からますます遠ざかる結果となりました。今日、アラブ人とイスラエルの因縁は、エサウとヤコブの兄弟から始まっているのです。
マラキ書1章2, 3節に「わたしはヤコブを愛し、わたしはエサウを憎み・・・とした」という主の御告げがあります。エサウの子孫はやがてエドム(אָדֹם、「赤い」という形容詞)人と先祖となり、神の祝福の系譜から完全に離れていきます。そして、ヤコブとその子どもたちのメイン・ストーリーが展開していくのです。
+ ちなみに、信仰の父である「アブラハム」(「アブラム」も含めて)の名は、旧約では236回使われています。父「イサク」の名は112回。そして子の「ヤコブ」という名前はなんと349回という頻度で使われているほどの重要人物なのです。
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