苦しい病を癒すには
- マタイ8:1-4 -
イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、一人のらい病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることができになります」と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、らい病は清くなった。イエスはその人に言われた。 「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」(マタイ8:1-4)
らい病は大変苦しく恐ろしい病気である。らい病にかかった一人の人物が神の子、救い主イエス․キリストに出会い、きれいに癒された。
1. イエス様に出会えばすべての苦しい問題が解決される。
⑴ 一人のらい病の患者が癒されきれいにされた。 (マタイ8:3)
「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、らい病は清くなった。」(マタイ8:3)
⑵ 盲人たちが癒され見えるようになった。 (マタイ9:28-30)
イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って來たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。そこで、イエスが二人の目に 触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、二人は目が見 えるようになった。 (マタイ9:28-30)
2. イエス様に出会える機会を逃してはならない。
⑴ このらい病患者はイエス様に従う群衆の中に入った。(マタイ8:1) <参照; Ⅱコリン6:2>
イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。(マタイ8:1)
「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。(Ⅱコリン6:2)
⑵ 自己中心の信仰は神の恵みに預かるのに障害となる。〈例;ナアマン将軍(王下5:1-14)>
ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に來て、その入り口に立った。エリ シャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」ナアマンは怒ってそこを去り、...イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行っ た。しかし、彼の家來たちが近づいて來ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なこ とをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預 言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」ナアマン は神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、 小さい子供の体のようになり、清くなった。(王下5:9-14)
3. 切実で確実な信仰をもとう。
⑴ このらい病患者はイエス様の権能を確信した。 (マタイ8:2)
①「一人のらい病を患っている人がイエスに近寄り」- 命をかけて群衆の中に入った。
②「ひれ伏して」 - 正しい信仰でイエス様にひれ伏した。
③「主よ、御心ならば」 - 切実な願いをイエス様に告げた。
④「私を清くすることがおできになります」- イエス様の権能を確信し告白した。
⑵ イエスは「信じる者には何でもできる」と言われた。 (マルコ9:22-23)
霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれ ば』と言うか。信じる者には何でもできる。」(マルコ9:22-23)
4. 恵みを受けた人々がすべきことがある。
イエスはその人に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って 祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」(마8:4)
⑴「祭司に体を見せ」 - 証票を受け取り自由になれ。 <參照; レビ14:2-3>
⑵「定めた供え物を献げて」- 恵みを悟り感謝せよ。 <參照; レビ14:4,10>
⑶「人々に証明しなさい」 - 祭司たちと共に神に栄光をかえす者となれ。
もしも私たちに苦しい病気や問題があるのなら、イエス・キリストに願い求めれば解決されるという事実を信じよう。そして、あまり心配に陥らないように注意しよう。