教会への勧め
- 黙示録1:10-11 -
[インマヌエル 下巻.10-10]
[黙示録1:10-11] 「10 私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。11 その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」」
*** 小アジアにある七つの教会は、すべての教会の模範と考えられる。今日の教会の働き手である私たちは、「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。(黙示録2:7)」という主の御言葉に耳を傾けなければならない。
1. 初めての愛を取り戻さなければならない。(エペソ教会) <エペソ書3:18-19>
[黙示録2:4-5] 「4 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。5 それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」
◎エペソ教会に送られた手紙であるエペソ書には「愛」という言葉が21回記されている。
① 「15 こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、16 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。」(エペソ書1:15-16)
2. 主のために、死に至るまで忠実でなければならない。(スミルナ教会)<列王記上3:6>
[黙示録2:10] 「... 死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」
① 「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ福音書16:10)
② 「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」 (マタイ福音書25:21)
3. 誤った教えは捨てなければならない。(ペルガモの教会) <エペソ書4:14>
[黙示録2:14-15] 「14 しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。... 15 それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。」
① 「彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」(マタイ福音書15:9)
4. 不品行を悔い改めなければならない。(テアテリ教会)<第一コリント5:5>
[黙示録2:21] 「わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。」
① 「不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。」 (第一コリント6:18)
② 「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。」 (エペソ書5:3)
5. 正しい行いで生きなければならない。(サデの教会) <第一ペテロの3:1>
[黙示録3:1] 「... わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。」
① 「人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。」(第一ペテロ1:17)
6. 主の戒めを守らなければならない。(フィラデルフィア教会) <テトス書1:9>
[黙示録3:8] 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。」
① 「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」 (ヨハネ福音書15:10)
7. 主を熱心に仕えなければならない。(ラオデキア教会) <ヨハネ福音書2:17>
[黙示録3:15] 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。」
① 「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」(テトス書2:14)
*** 七つの教会の聖徒たちに勧めた御言葉は、聖徒が持つべき重要な信仰と言える。したがって、その信仰が今日の私たちにも現れるようにすべきであろう。
