救われるために何をするか
●「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)。
冒頭に記した聖句にありますように、聖書が語っていることは、「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられる。」ということです。ここで言っている「救い」というのは、この世の多くのご利益宗教が説いているものとは、全く違います。病気からの救いのことではありませんし、貧困からの救いのことでもありません。また、人生のいろいろな悩みや苦しみからの救いのことでもありません。ここで言っている「救い」は、人類が神に罪を犯して神から離れた結果の罪の生活と、死と死後の永遠のさばきからの救いを意味しているのです。ですから、これは、あなたも含めて「すべての人」と関係があるのであり、「私には関係ないですよ」とは言えない重大な真理なのです。
ある方からのご質問ですが、「友人のクリスチャンに勧められて聖書を読み始めたのですが、聖書の中で、救われるためにはどうしても知らなければならないる必要不可欠な真理は、一体何なのでしょうか?」という丁寧な文面のメールでした。聖書は単なる道徳の書でもなく、文学の本でもなく、歴史の本でもなく、また宗教の教典でもありませんから、これは的を得た大切な質問であると思います。文章の書き方や文面から、人生を真摯に真面目に考えていらっしゃる方であるとの印象を強く受けました。聖書は、多くの重要な真理を教えていますが、救われるためにどうしても知らなければならないこととして、以下のような真理(事実)を選んで記しましたので、どうか、ご自分に当てはめて吟味なさってください。
【1】まことの神は唯一であられます。
聖書は、神は唯一であることを断言しています。聖書の記述は明確であり、ここに曖昧なことは一つもありません。真理は一つなのです。これは、人間の考えではなく、唯一の神がご自身で啓示なさった真理なのです。
●「神は唯一です。」(テモテ第一2:5)
●「わたし(God)は初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はいない。」(イザヤ書44:6)。
●「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメ。 」(Ⅰテモテ6:15,16)。
●「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。 」(イザヤ書45:22)。
【2】神は天地万物の創造者であり、また、神ご自身の愛の対象として人間をご自身に似せてお造りになられました。
人間は、けっしてアメーバーから進化した偶然の産物ではありません。もし、そうであれば、人間が生きる意味も目的も真の希望もないことになります。聖書の記述は、この点に関しても明瞭です。
●「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)。
●「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」
●「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息(霊)を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)
●「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 」(創世記1:27)。
【3】人間は神の権威に反抗して、罪人となりました。
ある人は、「私は、神に反抗などしていない。神を馬鹿にするようなことも言っていない。」と言います。でも、あなたは、今まであなたを生かしてくださった神を無視した生活をしたことがないでしょうか。親を無視している子どもがいたとしたら、それは、大変な親不幸です。でも、あなたを生かしてくださっている神を無視して生きることは、もっと大きな罪ではないでしょうか。
●「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、それというのも全人類が罪を犯したからです。」(ローマ5:12)
●「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず‥‥」(ローマ人への手紙3:23)。
【4】それゆえに、人間と神との交わりが断絶してしまったのです。
人間は、真の神を礼拝し、交わる代わりに、木や石や金銀で作った偶像を拝むようになり、真の神の代用品として、生きている人間や動物、その他いろいろなものを拝む対象としているのです。肉体的には生きていても、神から離れた人間は霊的には死んでいると聖書は語っています。
●「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:2)。
【5】人間の罪の結果は死(死後のさばき)です。
これは、だれも認めたくないことだと思います。恐ろしいからです。でも、聖書は厳粛にそのことを告げているのです。どんなに否定しても、真理は変わることはありません。他人が極悪非道な犯罪を犯した場合、その人は当然、さばかれるべきであると人は考えます。しkし、人は自分のことになるとそれを否定したいのです。正義の神の前に、人間の罪がさばかれるのは当然であはないでしょうか。
●「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)
●「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9:27)。
●「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。‥‥そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(ヨハネの黙示録20:15)。
【6】神は、罪人である私たちのために、救いの道を備えて下さいました。
神は正義の御方であると同時に愛の神ですから、あなたが、必ず来るこの御怒りを逃れるために、救いの道を備えて下さったのです。愛なる神は、ご自身の御子イエス・キリストを救い主として遣わしてくださいました。
●「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。‥‥私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」(ローマ人への手紙5:6~8)。
●「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」(Ⅰテモ1:15)。
【7】イエス・キリストは、あなたがその罪から救われるために、この世においでになられれ、罪のない聖よいご生涯を送られましたが、罪を犯した全人類のために十字架に掛かられ、身代わりとなって神の刑罰を受けて死んでくださり、墓に葬られましたが、三日目によみがえられました。
それでは、あなたは、救われるために何をしなければならないのでしょうか?上に記した聖書の事実(真理)をそのまま信じ、受け入れることです。そして、イエス・キリストが、あなたを愛され、あなたの罪のために死なれたこと、葬られたこと、三日目に目に見える栄光の体で死者の中から復活された救い主であることを個人的に心から信じることです。それ以外に救いの道はないと聖書は断言しています。
●「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネの福音書17:3)。
●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。
●「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネの福音書3:36)。
●「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16:31)。
●「この方(キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには私たちが救われる名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。」(使徒の働き:4:12)。
●「わたし(キリスト)は道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもと(天国)に来ることはありません。」(ヨハネ14:6)。
ですから、あなたが心からご自分の救いを望まれるのであれば、神の御前に跪いて次のように真剣にお祈りしてみたらいかがでしょうか。神は真実なお方ですから、必ず、その祈りを聞いてくださいます。
===「神様、この罪人の私をあわれんで下ださい。キリストは私の罪を十字架ですべて背負って私の身代わりとしてご自分の御血を流して死んで下さいました。また、死後三日目に、死者の中から復活されたことも心から信じます。どうか、私の罪を赦して下さい。そして、聖書の約束通りに、信じる者に永遠のいのちを与えて下さい。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。」===
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