これからの日本宣教



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荒々しい怒りの神

 「キリスト教の神は荒々しい怒りの神である。シナイ半島からパレスチナの、荒涼とした自然を背景に生み出された神であるため、優しい自然に包まれて育ってきた日本人の感情に合わない。日本人に必要なのは、暖かく包み込んでくれるような『母なる神』であって、厳しい怒りの『父なる神』ではない。」

 日本人の知識人が書いた書物の中には、しばしば上記のような意見が載せられています。どうやら、社会学者や宗教学者の間では、これが一つの定説になっているらしいのです。もちろん、クリスチャンの立場からするとすぐにも幾つかの反論ができますが、一面の正しさがあることも認めないわけにはいきません。少なくても彼らには、キリスト教の神は優しい愛の神ではなく、荒々しい怒りの神と映っているのです。宣教師や牧師たち、あるいはクリスチャンたちが熱心に神の愛、愛なる神を語っているにもかかわらず、彼らは怒りの神と捉えているのです。

 またたとえクリスチャンであっても、旧約聖書にご自分を現された神は優しく包み込むような神ではなく、荒々しく怒り、厳しくさばく神であること認めざるを得ません。そして、日本人に必要なのは「母なる神である」といわれると、へこんでしまうのです。たしかに、日本人は物事の善悪までもあいまいにして、「なあ、なあ、まあ、まあ、やあ、やあ」で済ませてしまう国民性を持っていて、たとえ優しく赦す神であり、赦すために自ら痛んでくださった神であっても、善は善、悪は悪として厳しく取り扱われる神には、違和感を持ち抵抗を感じるのがふつうです。日本人が求めているのは、何にも言わずに優しく包み込む神、清濁併せ呑む神なのかもしれません。

清濁併せ呑む神

 ではわたしたちの神は、清濁併せ呑む神、何も言わずにすべてを優しく包み込む神ではないのでしょうか。聖書をじっくりと読むと、意外に、そのような神の姿も見えてくるのです。たとえばキリストがお語りになった有名な「放蕩息子の譬え」で示された父なる神は、まさにそのような神です。罪を責め立てず、優しく迎え入れ抱き寄せてくださる神なのです。旧約聖書では、ホセア書に現された神の姿がこれに相当します。また本来一夫一婦制を基本として創造してくださったにもかかわらず、人間の弱さのために一夫多妻を認容し離婚までお許しになったところにも、そのようなご性質を読み取ることができます。もちろん、そこに示された姿は大きな神のごく一面にすぎませんが、わたしたちの神にはそのような面もあるのだということです。

 ところで多くの日本人が、キリスト教の神を荒々しい怒りの神と決め付けるのは、彼らが自分で聖書を読んでそう感じたというより、聖書を読む前に、まず、宣教師や牧師などと接触し、彼らとの会話から厳しく猛々しい神を思い浮かべて、その先入観をもって聖書を読んだためではないでしょうか。ふつうクリスチャンたちが感じているのは、優しい愛の神であり、猛々しい神の姿は旧約聖書を読んで、「エッ」と思う程度です。読みが浅いと言われればそれまでですが。

Ⅰ.これまでの日本宣教

 日本の宣教はいままで敵対的態度で行われてきました。つまり、「日本は偶像の国である。異教の国である。日本人が拝んでいる神は偽わりの神である。またそのような宗教を認めている日本の文化は間違った文化であり、程度の低い文化である」という前提に立って、日本の宗教を敵視し、日本の文化を蔑み、それらを打ち壊そうとしてきたのです。そこに日本人は荒々しく猛々しい神の姿を感じとったのです。

キリスト教文化の普及・宣教の背後にあったもう一つの動機

 イギリスやアメリカを中心に行われてきた近代宣教の働きは、当然、福音を宣教しようという情熱によって進められてきたものです。ところがその背後には、自分たちの「キリスト教文化」こそ最善であり、自分たちには、この文化をすべての人類に普及させて行く使命が与えられているという、とんでもない確信があって、それがまた大きな推進力にもなっていたのです。ですから彼らは、福音を語ると共に、宣教地の文化を破壊し自分たちのキリスト教文化を移植することに、情熱を傾けたのです。多くの宣教師にとって、行く先々の文化を破壊することは宣教の一部であり、宣教の手始めでもあったのです。

 とくに、千年期後再臨説を採っていた多くの福音派の宣教師たちは、キリストが再臨するにふさわしい、平和で平等で豊かな世界を作るのが自分たちの使命だと信じていたために、彼らにとっての宣教とは、劣悪な文化を改善改革するのとほとんど同義語となり、やがて、福音の宣言は後ろに追いやられるようになってしまいました。

 自分たちの文化がまだ未成熟で、民族意識も国家意識も希薄だった人々にとっては、進んだ西欧キリスト教文化は魅力的であり、自分たちの文化を守ろうとする抵抗はほとんど起こりませんでした。むしろ、教育や医学を始めとする様々なノウハウと共に、宣教師たちが持ち込んだ文化までも率先して受け入れることが多かったのです。ところが、明確な民族意識あるいは国家意識を持ち、独自の文化を誇り高く保持していた人々は、キリスト教文化の押し付けに対して激しく抵抗しました。ですから、仏教国家、ヒンズー教国家、イスラム教国家などは、キリスト教文化を激しく拒んでいるのです。日本は神道と仏教を持ち、国家意識、民族意識も非常に強く、自分たちの文化に誇りと愛着を持っています。(普段は意外と無意識ですが) そのような土地に、自分たちのキリスト教文化こそ最善であるという一方的先入観を持った宣教師たちが入って来たのです。彼らは、長い間存在していた日本の文化を軽蔑し、蹴散らかし、踏みにじってしまったのです。それは日本人の心を逆なでし、荒々しく猛々しい神のイメージを定着させてしまったのです。

日本文化の独自性

 日本にはまた、他の国々には見られない特異な歴史があります。さらに、その歴史には仏教と神道との複雑な絡みがあります。16世紀、植民地主義と渾然一体となって入ってきたキリスト教(カトリック)を、当時の為政者たちは国家的危機と捉えて締め出しました。そのために採った方策は、カトリックを邪教と決め付ける一方で仏教を優遇し、これに力を与え、非常に厳しい相互監視システムを作り上げ、カトリック教徒と判別された者を徹底的に迫害することでした。それによって、一般民衆の間にカトリックに対する根深い恐れと疑いを作り上げようとしたのです。またカトリックが日本に入り込むことがないように、いわゆる鎖国をおこなったのです。この政策は見事に成功し、一般日本人の心に、カトリックあるいはキリスト教全体に対する、底知れない恐怖と猜疑心を生じさせることができました。その恐怖と猜疑は民衆の心の奥深くまで浸透し続けて、容易に取り除くことのできないものとなり、徳川250年の長期にわたる鎖国政策を成功させる、大きな要因となりました。植民地化された多くの土地では、ほとんどの場合、民族意識も国家意識も未成熟で、人々が小さな部族意識に閉じこもったままだったために、たやすく植民地にされてしまいました。ところが日本では、日本としての共通文化もさることながら、カトリックが入って来たのは、まさに天下統一が現実のものとなり、国家意識が一段と強くなっていたときのことでした。日本では、まったく異なったことが起こったのです。

 明治の開国前後になっても、西欧キリスト教諸国の植民地主義は日本の脅威でした。実際、このころ、日本が西欧キリスト教国の植民地にならずに済んだのは、むしろ奇跡でした。もう少し後の1900年の時点で、西欧キリスト教国でない国々で独立を保っていたのは、広い世界で日本とタイとリベリアの三国でした。たったの三国しかなかったのです。タイは英国とフランスの植民地統治の間に挟まれて、微妙なバランスの上で何とか独立を保つことができました。リベリアは解放奴隷のためにアメリカが人為的に作り上げた国家で、植民地にできるものではありませんでした。

そういう世界情勢の中で、明治の為政者たちは、西欧キリスト教国に追いつき追い越せと、彼らの知識や技術を情熱的に取り入れるとともに、植民地主義も学び取って海外侵略を狙い富国強兵を打ち出したわけです。ところが、手本として学ぶ西欧諸国の精神的支柱であったキリスト教には、きっぱりと背を向けました。植民地主義とともに世界を駆け巡っていたキリスト教は、自らが説いている愛と平和と平等の教えにもかかわらず、あまりにも残虐だったからです。とはいえ、日本にもキリスト教に代わる精神的支柱が必要だと判断した為政者たちは、古来日本にあった神道に手を加えた復古神道を導入し、「和魂洋才」を合言葉に西欧諸国と競ったのです。西欧諸国の強い要望のために、キリシタン禁制は間もなく取り払われ、やがて信教の自由も保障されるようになりましたが、反キリスト教政策は国家の政策として継続し、単純な信仰表現だった神道が、キリスト教の擬似神学を着せられて復古神道とされ、国家神道と言われるまで祭り上げられて行ったのです。

 もちろん、植民地時代のキリスト教のすべて、あるいは宣教師のすべてが残虐であったのではありません。中には愛に溢れた宣教師たちもたくさんいて、なんとかしてキリストの教えを守ろうとした人々がいたのも事実です。しかし、植民地制度と手を組んだ時点で、彼らはその富と栄光の欲望に飲み込まれ、少なくても外部からは、残虐な侵略者たちの一部とみなされてもしようがなくなっていたのです。

宣教師たちの高圧的態度

 このようなところに、たとえキリスト教的愛と善意を土台にしていたとしても、文化的優越感と人種的優越感、さらには技術的優越感、教育的優越感、経済的優越感などを併せ持った宣教師たちが入り込み、日本の文化を破壊し、日本の宗教を消滅させようとしたのです。その高圧的態度を反カトリック政策で、キリスト教に対する恐怖と猜疑を骨の髄まで染み込ませられていた一般民衆は、非常な恐れをもって見たのです。その上、もともと和を重んじる共同体社会として成り立っていた日本に、西欧宣教師たちは強引に個人主義のキリスト教を持ち込もうとしました。それは存在する日本人特有の和をかき乱し破壊するものであり、当然、日本人はそのようなキリスト教を受け入れることはできず、ますます恐れ嫌ったのです。

 もちろん例外的日本人もおりました。宣教師たちの自己犠牲、優しさ、高度な倫理、そして崇高な聖書の教えなどに感動して、クリスチャンになろうとした人々も少なくありません。ところが圧倒的多数の人々は、宣教師たちと付き合いを深くするごとに、彼らの日本文化に対する敵対的態度と、洞察の浅薄さに嫌気をさして離れていってしまったのです。

 宣教師たちが自分たちの文化を「キリスト教文化」と間違って思い込んだのは、まあ、しょうがない独りよがりということができます。誰でも自分の文化を愛し、それが最高だと思い込むところがあるのです。かなり前のことですが、フィリピンに住んでいた日本人が、どうしても沢庵と納豆が食べたくて、わざわざ日本から送ってもらったことがありました。ところが税関で大騒ぎになってしまいました。あの日本人が愛して止まない発酵食品の独特の臭いが、ありとあらゆる悪臭に慣れているはずのフィリピン人にさえ、とんでもない悪臭だったのです。それを受け取りに行ったわが友人は、税関で散々物笑いにされ、結局、現物を受け取ることができませんでした。廃棄処分となったのです。

沢庵と納豆ではなく、大根と大豆で送ってもらっていたら、当時のフィリピンでは問題なかったはずです。でも、それは大根と納豆ではなく、「日本風に加工された大根と大豆」だったのです。実際、西欧の文化はキリスト教文化ではなく、西欧的に加工されたキリスト教的文化に過ぎませんでした。キリスト教の影響もたくさんあったけれど、非常に非キリスト教的な面もあったわけです。日本の文化を仏教文化と決めつけたり、わび寂びの文化とひとくくりにしてしまったりするのが間違いであるのと同じように、西欧諸国の文化をキリスト教文化と断定するのは間違っているのです。そのあたりを宣教師たちが理解していたならば、日本の宣教も少しは変わっていたことでしょう。

もっと厄介な問題・神の理解と異教に対する態度

 ところで、宣教師たちはもっとやっかいな問題を抱えていました。それは、彼らの神理解、あるいは聖書の理解ということです。彼らが理解していた神は愛の神でありながら、異教に対しては非常に厳しく、偶像礼拝に対しては情け容赦のない怒りの神だったからです。だから宣教師たちは日本を異教の国と捉え、日本人を偶像礼拝者と断じて、「情け容赦のない神」に代わって厳しく責め立てたのです。そのような偶像に対して厳しい神の理解は、聖書のあやまった読み方から来るのですが、当時の宣教師も現代の宣教師も、そのことにはまったく気づいていません。そして、彼らに育てられ、アメリカやイギリスを始めとした「キリスト教国」で教育を受けた、大多数の日本人牧師たちも毛ほどにも気づいていないのです。

 彼らに教えを受けたクリスチャンたちは、仏教や神道をはじめとする日本の偶像宗教を忌み嫌い、それらから徹底して身を引くように教えられました。「そのようなものに近づくと神がお怒りになる。わたしたちの神は偶像を憎む神なのだ」という程度ならまだましなほうで、最近は、「偶像に近づくとその偶像に住みついている悪霊にとり憑かれて、大変なことになる。あなたが神の祝福を受け損なっているのは、偶像をとり除かないからだ。仏壇は焼きなさい。神棚は破棄しなさい」などと、ちまたの霊媒師のような脅迫をする宣教師や牧師も珍しくありません。

 それで、まじめなクリスチャンたちのほとんどは、仏教の行事、あるいは仏教臭い行事には一切参加しません。葬式も、初七日も、四十九日も、命日も、盆も、彼岸も、お墓参りも、墓掃除もことごとく拒絶します。線香を上げることも、花を供えることもしなければ、水もご飯も上げません。家族であろうと親族であろうと隣近所であろうと、非常な熱心さで、それらを避けようとします。そして、涙ぐましい努力と血の流れるような軋轢の後、それがある程度成功すると信仰の勝利を祝うのです。神道の行事でも同じです。氏神様の祭りには当然そっぽを向きます。町内会の寄付さえ神社へ関わるといって、信教の自由を盾に拒否します。日曜日はクリスチャンの安息日だなどとはなはだ非聖書的な主張をして、日曜日に行われるあらゆる行事には参加しません。学校行事にさえ訴訟を起こしてまで反対し、子どもたちを参加させない人たちもいるほどです。少し左よりのクリスチャンならば、殉教者的情熱を傾けて、君が代と日の丸に戦いを挑みます。

 最近は神社仏閣を回り、キリストの名によって悪霊を追い出すことさえ流行っています。御地蔵さんにも、御不動さんにも、仁王様にも、しめ縄が張られた木にも岩にも、悪霊が宿っていると主張してやまないのです。そのようなものがあるから、日本の宣教は進まないのだと信じて疑わないわけです。

宣教を困難にしている立派なクリスチャン

 このようにして、「偶像に勝利をする立派クリスチャン」が一人できると、その周囲には「絶対にクリスチャンにはならないぞ」と決意する日本人が、百人ほどできることになります。日本的文化に背を向けるクリスチャンが一人生まれると、「自分の家族や親族からはクリスチャンが出ないようにしなければ」と、心ひそかに定める日本人が50人ほど現れることになります。このような戦いは、基本的に、存在し続けて来たそれぞれの和に戦いを挑み、破壊しようとすることです。たちまち、家族や親族や町内、さらには職場やサークルの人間関係を悪化させることになるからです。クリスチャンにとっては偶像の問題であっても、一般の日本人にとっては和の問題なのです。日本人が一番大切にするのは、良かれ悪しかれ和なのです。「何をやってもいいが、ひと様の迷惑になることだけはするな」というのが、たいていの大人が自分の子どもたちに言い聞かせる、極めて日本人的な教えです。勝利したクリスチャンになることは、ひと様に迷惑をかけることであり、日本人が最も大切にしてきたものを踏みつける行為なのです。

 そういうわけで、日本では、クリスチャンが増えるほど宣教が困難になります。酒もタバコもギャンブルもしない優しく親切なクリスチャンは、個人としては大いに尊敬されますが、一方では社会生活を乱すものとして非常に煙たがられ、面倒がられ、毛嫌いされ、迷惑がられているのです。それでも、そのような信仰態度こそ神に喜ばれるものであると信じて疑わないクリスチャンたちが、来る日も来る日も偶像教と偶像文化との戦いに明け暮れる一方で、福音を語ることを忘れ、日本宣教をますます困難にしているのです。これが今まで行われてきた日本の宣教です。

Ⅱ.これからの日本宣教

 これまでの日本宣教は、西欧キリスト教文明の押し付けと、日本古来の宗教を厳しく非難し糾弾することに特徴がありました。幸い、西欧キリスト教文化の押し付けは、文化を相対的に見る訓練を受けて来た最近の宣教師たちの中には、だんだん少なくなっているようです。ところが「偶像礼拝を忌み嫌う神」の宣教はますます激しさを増し、偶像文化を憎む気持ちもかえって強くなっているように思われます。はたして偶像を忌み嫌い厳しく糾弾する神、荒々しく猛々しい神は、本当に聖書が啓示している神なのでしょうか。もし、偶像を忌み嫌い偶像を取り除くことこそ、神が日本にまず望んでおられることであると、聖書がはっきりと示しているならば、わたしたちは何が何でもそれに従わなければなりません。しかし、そうではないと聖書によって説明できるならば、わたしたちは、今まで日本で行われてきた宣教の方法を、考え直さなければなりません。

聖書に見る神の姿・寛容だった神

 神の偶像に対する態度を聖書の中に探ってみると、大変面白く、また、驚くべき事実に行き当たります。それはまず、神が偶像に対して非常に厳格で、まさに怒りの神というにふさわしい態度をお見せになるのは、旧約聖書においてはイスラエル民族に対してだけであるという事実です。新約聖書においては、偶像礼拝の禁止はクリスチャンたちにも適用されていますが、旧約聖書ほどの厳しさはありません。

 さらに、イスラエルに対する偶像礼拝禁止の戒めと神の厳格さも、十戒の付与を境に始まるという事実にも行き当たります。十戒が与えられる前のイスラエルに対して、神はむしろ非常に寛容で忍耐深い方として現れています。シュメールの偶像文化から召しだされたアブラハムが、その生涯をかけて、果たしてどれほど唯一絶対の神について理解したかは明らかではありません。ただその考え方や行動には、今のわたしたちからするならば、異教的な要素がかなりあったと言わなければなりません。

 イサクについてはあまり記されていませんので詳しいことは不明です。でも、天地の創造者である絶対の神についての理解は、父のアブラハムよりかなり深くなっていたことは間違いないでしょう。その子ヤコブになると神の理解はさらに進んでいたと考えられます。しかし神は決して急がず、ゆっくりとご自分を啓示して行かれました。ですから、イスラエル一族の偶像礼拝にも寛容でした。ヤコブが叔父ラバンのもとを去るとき、妻のラケルはわざわざ自分の父の偶像を盗み出して持参しましたが、聖書は神がこのことを咎めたとは記していません。ヤコブが唯一絶対の神に対してさらに理解を深め、自分たち一族の天幕の中からすべての偶像取り出して、樫の木の根元に埋めた一種の宗教改革は、アブラハムが召しだされてから、およそ130年から150年ほどもたってからのことですが、そのときまで、ヤコブ一族の天幕には相当数の偶像があったと思われます。日本にプロテスタントの宣教が始まって今年で150年といわれていますが、それと同じほど長い期間、神はイスラエルの偶像礼拝を寛容にご覧になっていたのです。

 ヤコブの子のヨセフは、イスラエルの救済史の中で非常に重要な役割を与えられた人物ですが、彼はエジプトの宗教の祭司の娘を娶りました。それは神の怒りに触れていません。400年ほど後になって、さらに重要な役割を果たしたモーセは、ミデアン人の宗教の祭司の娘を妻に迎えています。これに対しても、神はお怒りになりませんでした。

峻厳になった神

 ところが十戒をお与えになった後の神は、突然、厳格峻厳な神になるのです。たとえイスラエル人の中でさほど重要な人物ではなかったとしても、もし、モーセのように異邦人、しかも異邦人の宗教の祭司の娘を娶るようなことがあったとしたら、たちまち裁きが下ったに違いないのです。では、神がこれほどまでに態度を変えた理由はどこにあるのでしょう。それは神の明確な自己啓示にありました。神がイスラエル民族に対し、ご自分を明々白々に示してくださった後、偶像礼拝に対し非常に厳しい神となられたのです。

 多くの人々は十戒を読んで、その中に現された神の厳しさに目をとめ、それをすべての人々に適用します。十戒を人類全般に与えられたもの、神の普遍的律法であると考えるわけです。でも、それは間違っています。十戒の直前の言葉、十戒の前提となる言葉を読めば明らかです。出エジプト記20章を実際に開き、もう一度読んでみてください。ふつう十戒は3節から始まると考えられていますが、1節と2節が導入あるいは前提として大切なのです。そこには次のように記されています。「それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」

 つまり、神はご自分がイスラエルをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した神なのだから、「あなたには、わたしのほかに、他の神々があってはならない」とおっしゃり、偶像を作ってはならない。それを礼拝してはならないと命じておられるのです。わたしはあなたを奴隷の家から救い出した神、あなたの神、あなたの主なのだから、わたしだけを礼拝しなさいと言われるのです。逆に考えると、神はこの命令を、ご自分がエジプトから救い出した人々、イスラエル民族だけにお与えになっているということです。これは全人類に与えられた普遍的命令ではなく、イスラエルという特殊な人々に与えられたものなのです。

神の自己顕現とイスラエルの体験

 神はイスラエル民族を、間違いようがないほど明らかな方法で救い出してくださいました。それによって、神はご自分をはっきりと現してくださったのです。神がご自分をはっきり現さないまま、人々の中に神に対する理解がほとんどないときに、「わたしだけを礼拝しなさい」と、無理なことを要求されたのではありません。出エジプト記を読むと、神はすべてのイスラエル人が体験できた様々な奇跡を十回もくり返して、エジプトを脱出させてくださいました。脱出した後も、昼は雲の柱夜は火の柱をもってイスラエルを導き、エジプト軍が追跡してきたときには雲の柱を後ろに移してエジプト軍がイスラエルに近づけないようにし、さらには紅海を二つに分けてイスラエル人を救い出し、エジプトの軍隊を滅ぼしてくださいました。その後も、苦い水が甘い水に変えられました。ウズラとマナをもって、荒野で飢えないようにしてくださいました。岩から水を流れ出させ、渇かないようにもしてくださいました。アマレクとの戦いでも、イスラエル民族は主の助けを体験して勝利を手にしました。そのような数々の奇跡を目の当たりに体験させた後に、神は、「わたしはあなたたちを救った神なのだから、わたしだけを礼拝しなさい」とおっしゃったのです。

 イスラエル民族は、天地創造の神だけを礼拝するようにと命令される前、偶像礼拝をしてはならないと戒められる前に、神を体験したのです。くり返し、くり返し、神の自己顕現を見たのです。日本人はこの神の自己顕現を見ていないのです。いまだに神とは誰かを知らないままなのです。多くのものは神の存在さえ信じられないでいるのです。その日本人に、イスラエル民族に与えられた命令をそのまま適用するのは、まったくの間違いです。日本人もイスラエル人と同じように、まず神を体験することが必要なのです。まず、神の救いを体験しなければならないのです。

 神の寛容と忍耐は、十戒付与後のイスラエルにさえ示されています。モーセの後継者ヨシュアが死んだ後、イスラエルは師士の時代に入りますが、このとき、どういうわけか、モーセの律法が失われていたのです。人々は神の教えを知らず、ただ、先祖からの口伝による神の教えを守るだけでした。口伝の内容は、当然、モーセの律法に記されたものから程遠くなっていたことでしょう。ですから、神に用いられた師士たちの多くも、非常に異教的であり、偶像礼拝の色彩を帯びていました。しかし、神は律法が失われていた長い期間、寛容と忍耐をもって師士たちを用い、イスラエルを導いてくださったのです。イスラエルの歴史を見ると、律法が失われた時代は一度だけではありませんでした。でも、神は人々の背信的行為を忍耐強くごらんになり、神に立ち返るときを待ち続けてくださいました。 

神学的理解と宣教の実践

 パウロは、一般的神学論文に近いローマ人への手紙においては、人類の偶像礼拝の罪を厳しく糾弾し、神の怒りが留まることを示しました。真の神を認めない偶像礼拝のゆえに、神は人々を罪の中に堕落するままに任せられたとも語りました。真の神を礼拝しないことは、それ自体言い逃れのできない罪だと厳しく断罪しました。ところがその同じパウロが、異邦人への使徒として実際に宣教活動をしたとき、偶像礼拝に対しては極めて寛容な態度をとっています。偶像に満ちた大都市アテネで、「あなたたちは偶像礼拝の罪を犯している。直ちに悔い改めて偶像を取り除きなさい」とは叫ばなかったのです。むしろ、偶像を礼拝している人々の宗教的熱心さを評価し、彼らが知らずに拝んでいる神についてお話しましょうと、まず共通点を見いだし、それを用いて語る糸口にしています。ピリピにおいては、占いの女が何日にもわたって後を追いかけてきて、宣教活動の妨げになるまで、「悪霊追い出し」もしなかったのです。偶像の宮や寺社に押しかけて悪霊追い出しをすることも、逆に悪霊を恐れて、偶像礼拝の盛んなところには行かない、「鳥居の下は通らない」というようなこともありませんでした。

 パウロは異邦人たちが偶像礼拝を責められる前に、真の神を知る機会を与えられなければならないことを知っていたのです。まず、真の神の救いの力、奇跡の力を体験する必要性を理解していたのです。現在の日本人も、パウロの時代の異邦人と同じです。まず、真の神を知ることが必要なのです。その救いの力を体験すべきなのです。そうするならば、エペソであったように、結果として大勢の人々が偶像礼拝を退け、魔術に関する書物を焼き捨てることさえ起こり得るのです。パウロが焼けと命じたのではなく、人々が率先して焼いたのです。

無知だったイスラエルと神の自己紹介

 十戒の付与の橋渡しとなったモーセさえ、その少し前までは非常に曖昧な神理解しか持っていませんでした。だから、異邦の神の祭司の娘を妻にしたのです。大体にして、「神」という言葉もまた曖昧でした。当時、モーセが語ったとき、さらには聖書が書かれたときにも、天地創造の神を言い表す言葉がありませんでした。神の呼び名がなかったのです。したがって、周辺の人々が使っていた「神」という言葉を使う意外に、方法がなかったわけです。そこで同じ神という言葉を用いながら、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神という言い方で他の神々と区別していたわけです。それでも、神の性質や真の姿に関しては、実におぼろげな知識でした。だから神は、ミデアンの荒野でご自分を火の中に現して、「わたしはある」と自己紹介をしてくださったのです。

 知識という意味では、神は十戒を与えてから少し後に、改めてイスラエル民族に対して、創世記という文書をもって自己紹介をしてくださいました。神々と呼ばれるものが実にたくさんある中で、「あなた方を救い出したわたしこそ、天地を創造した唯一の真の神である」と教えてくださったのです。創世記第一章の天地創造の物語は、イスラエル人に天地創造のいきさつや順序を教えたり、考古学的知識や生物学的洞察を与えたりするために、記されたものではありません。「神は始めに天と地を創造された」という記述も、神が天地を創造された事実を語ろうとするのではありません。「あなた方の神は、他のあらゆる神々と異なる神である。天地を創造した神、あらゆる存在のもとである」と仰せになる、神の自己紹介なのです。

無知な日本人に神を紹介する必要性

 現在の日本には、わたしたちの神を「神」と翻訳したことに問題があるという議論があります。神という日本語は、聖書に示された天地創造の神の概念、絶対者、超絶者としての神の姿からはあまりにもかけ離れているというのです。確かに日本語の神という言葉は、本来、単に「上」を意味するだけであまりにも曖昧です。しかし、それ以外に適当な言葉がなく、それを借用して、天地創造の神を説明するほかには良い方法がありませんでした。同じ問題が、モーセとイスラエルの人々にあったのです。創世記は、周辺の民族が用いていた「神」という言葉を借用して、天地創造の神を紹介しようとしているのです。そして長い時間をかけて、イスラエルの人々に真の神の概念を教え、さらに驚くような奇跡をたくさん見せて明確な神体験をさせ、絶対に間違うことなく神を認めることができるようにした後に、初めて偶像礼拝禁止令を出されたのです。それならば、日本人も、同じように、忍耐深く神の概念を教えられ、神の奇跡的力を見せられる必要があるのです。

 神が偶像礼拝の罪のために厳しい裁きを下されたのは、十戒付与後のイスラエル民族だけです。イスラエル以外の人々が、自分たちの偶像礼拝の罪のために、さばきの対象となったことはないのです。異邦人が神のさばきの対象となった場合は、みな、彼らの道徳的廃頽のためであって、偶像礼拝のためではありません。ノアの洪水もソドムとゴモラもニネベもアッシリアもすべて道徳的廃頽を問題とされたのです。ただし異邦人がイスラエルと民族と関わりを持ち、彼らの宗教が、イスラエルの真の神礼拝に悪い影響を与えると判断された場合は例外です。

これまでとは違う日本宣教

 そういうわけで、これからの日本宣教は、これまでの日本宣教とは違うものとならなければいけません。日本の道徳的倫理的腐敗を語るのは必ずしも間違ってはいません。また、それが真の神を知らないところに関係していることも語って良いと思います。とはいえ、細心の注意が必要です。まず、日本はキリスト教文化が希薄でありながら、倫理的には他の「キリスト教諸国」に比べても、遜色がないばかりか、かえって多くの面で高いレベルを保っているからです。

日本人の誤解を解く

 そのようなことよりもまず、神について語るのが良いでしょう。私たちの信じている神がどのような神であるかを語り、日本人の誤解を解くことが肝要です。荒々しく猛々しい怒りの神ではなく、寛容と忍耐の神であることを知ってもらうことです。また日本の宗教を悪しざまに語るのではなく、むしろ、たとえば、日本古来の神道の中に、イスラエルの神のみ姿の名残を見るほうが良いでしょう。神道はユダヤ教から来たとまで言い切るのは、いささか行きすぎだと思いますが、類似点はたくさんあります。日本人の心の中に留まっている真の神の残像として、積極的に宣教の糸口とするのが良いでしょう。それはパウロがアテネで試みた方法です。

 原理主義的傾向のあるクリスチャンたちは、アテネでは回心者が少なく教会も生まれなかった事実から、パウロがあまりにも知恵に走りすぎ、偶像礼拝と妥協するような説教をしたために、失敗に終わったのだと言いますが、それは完全な間違いです。むしろ、神観念のまったく違うあのような土地で、しかも短い接触と説教で、数人でも改心者が起こったのは大変な成功だったと言わなければなりません。ちなみに、そのようなことが日本で起こるとは、ほとんど考えられません。その成功の秘訣は、彼が対決的姿勢、敵対的言動を避け、むしろアテネの人々の宗教的熱心さを評価し、彼らと同じ宗教的理解から話を始めたところにありました。共通点を用いたのです。

神道との共通点

私たちは素朴な古来の神道との共通点をたくさん見いだすことができます。神道の汎神論的感覚も、少し見方を変えると、すべてのものの中に神がいるのではなく、すべてのものの中に創造者の姿を見ることができると話すことができます。神々は自然の中におられるという感覚は、自然を造り支えていてくださる唯一の神の様々なお姿として用いることができます。収穫の神はそのまま作物を実らせ収穫を与えてくださるわたしたちの神です。基本的に神道は見えない神を礼拝し、「ご神体」などという言葉があっても、ほとんどの場合偶像は存在しません。ローマ書でパウロが言うところの、「見えない神の姿を見えるものに変えてしまった」偶像教ではないのです。また神道には、一般に言われる「八百万の神」という言葉と裏腹に、非常に強い一神教的色彩があります。特にわたしたち庶民の一般的感覚では、神道の神は唯一の神なのです。ちなみに、一般の日本人はどこの神社のどの神にお参りに行こうが、まったく同じ感覚で、同じ神に礼拝していると感じて、いちいち神の名を尋ねることさえしません。すべてのものの背後におられる唯一の神を想定し、あるいは感じて礼拝しているのです。

「何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という西行の歌は、日本人の神道的感覚を良く表しています。わたしたちはまさに、この、日本人が「ありがとうございます」と知らずに拝んでいる神こそ、天地を創造してくださったわたしたちの神であると紹介し、その神に賛美と感謝を捧げ、また信頼して祈り、その神の教えに従うことを教えれば良いのです。日本人の道徳心の高さは、このような神観念と無縁ではないと、逆にローマ書から語ることさえできます。そして、まず、神の助けと恵みと祝福を体験してもらうのです。人間の罪にもかかわらず人間を愛して恵みを与え、太陽を昇らせ雨を降らせていてくださることを語るべきです。そればかりか、罪ある人間をも受け入れてくださる神であることを語るべきです。罪ある人間を受け入れるために、ご自分の独り子をさえ十字架にかけてくださった、愛と忍耐と寛容と恵みの神であり、わたしたちを忍耐強く待ち続け、寛容をもって抱き寄せてくださる、放蕩息子の父のような神であることを伝えるべきです。

 日本人は、世界でもっとも唯物主義に汚染され、神の存在を否定する人々です。ところが一方では、豊かな自然の中で、おおらかな神を感じる非常に宗教的な人々です。頭では神を否定しながら、心では神を感じているのです。それは、人間が神を感じるように造られているからに相違ないのです。日本人の深い宗教意識、神感覚は、聖書の教えに非常に近いのです。

仏教との共通点

 一般の日本人が宗教として認識しているのは、神道よりむしろ仏教かもしれません。仏教と聖書の教えには共通点があるでしょうか。残念ながら仏教には実に多様な流れ、色々な宗派があり、それぞれがあまりにも異なり隔たっているために、一つ一つ取り上げるわけには行きません。ただ、一般庶民としての仏教、通俗的仏教に聖書の教えとの共通点を見ることは可能です。

 日本の文化の中の仏教は血族関係を重んじて、先祖(イエ)と親族(家)とを結ぶものです。普通の日本人は、宗教としての仏教行事に参加するのではなく、社会行事とし参加します。そしてそこで自分の存在を確かめます。あの人もこの人も、自分と血がつながっていると確かめ、自分が「どこの馬の骨とも知れぬ奴」ではないと、アイデンティフィケーションを確認できるのです。それは日本人の精神の中でとても重要な意味を持っています。それは聖書に記されたイスラエルの文化と非常に良く似ているのです。

 先祖を大切にするのも、聖書に記されたイスラエルの文化と共通しています。宣教師や牧師たちは先祖を大切にすることをことさら恐れ嫌います。それは先祖に力を認め、祈ったり崇拝したりするきらいがあるためです。でもだからといって、先祖を尊敬する素朴な心を否定しその心の発露を取り除くのは、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という、ことわざ通りといわなければなりません。わたしたちは仏教の先祖崇拝が、幾分偶像礼拝の要素を含んでいるとはいえ、むしろ、先祖に対する尊敬の情の発露であると認めるべきです。そして、仏教的表現が嫌いならば、それに代わる先祖に対する感謝と尊敬の表現方法を、独自に作り出し実践すべきです。でなければ、日本に伝えられたキリスト教は、いつまでも、「先祖に対して失礼な宗教」であり続けるでしょう。

 死後の成仏を願うのも、死後に望みを託すことであり、永遠の命への憧れと願望であるとみなすべきです。ただ、聖書の教えがなかったために、仏教的な表現になったに過ぎません。「あると思えばある。ないと思えばない」というような曖昧な来世観しかもてない通俗仏教に対して、わたしたちは明確な希望を語ることができます。仏教の言い方を否定する必要はありません。ただ、わたしたちの確信である永遠のいのち、そして新天新地について、聖書はこのように語っていますと告げればよいのです。死後のことを思うのも、霊的動物として作られた人間の本能です。神は、人に永遠を思う心を授けてくださったのです。

 あるいは、仏教の中には宇宙を一つの生命体と考える観方があります。わたしたちは普通、宇宙の法則を生命と言っているように聞こえる仏教的な表現に、違和感を持ち納得できないできました。西欧の考え方に馴染んだわたしたちは、植物や動物の有機的生命を生命と呼び、無機質な物質の運動は生命とは呼ばないからです。さらにクリスチャンならば、その上に、人間や天使や神が持つ命を霊的な命と考えて、有機的な命とは別のものと考えてきました。クリスチャンは、無機質の物体の中に生命を認めることができませんでした。ところが聖書の神は「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる」神なのです。(エペソ4:6) 物質としての宇宙そのものが、神というさらに大きな次元を超えたお方の中にあるのです。神は宇宙のすべての存在物の上に、それらを貫き、それらのうちに存在しておられるからです。ですから、宇宙を一つの生命体と捉えても、不思議ではないのです。ただし、わたしたちの神は宇宙そのものではなく、宇宙の上に、宇宙を貫き、宇宙の中におられる神です。人間の上に、人間を貫き、人間のうちに、神が存在しておられるのと同じです。

 宇宙を一つの生命体と捉える仏教的な考え方は、決して聖書の教えと同一のものではありません。しかし、共通点を認めて対話をすることができます。そこから、彼らの考え方を真っ向から否定して、敵として遠ざけてしまうのではなく、彼らの考え方を一つの考え方であると認めて、わたしたちの神、宇宙に満ちていながら宇宙そのものではなく、宇宙の中にありながら宇宙を宿し、宇宙を貫きながら宇宙を支えておられ、宇宙を自分とせず対象とされる神を語っていくことができるはずです。

変えられるべき、神・罪・救いの三段階

 そういうわけで、神、罪、救いという、言い古された伝道の三段階は変えられなければなりません。神、祝福と恵み、準備された救い、信頼、救いが先です。罪の悔い改めはその後で充分です。アブラハムが救われたのは、彼が偶像礼拝の罪を理解して悔い改めたからではなく、もっと単純に「神を信じた」からです。日本人は律法を与えられたイスラエル人と同じにされるべきではなく、律法を与えられる前のイスラエル人と同様に扱われるべきです。まず、神が明らかに紹介されなければなりません。それから、この神が信頼に足る方であることを教え、信頼するように励まし、神の恵みと助けを体験させるのです。神はキリスト教神学的な「救い」、すなわち悔い改めを前提とする救いを体験する前の人々にも、祝福と導きを与えていてくださるのです。日本人にはそのような体験が必要なのです。たんに雨を喜び、晴れに感謝するだけではなく、雨を降らせ太陽を昇らせてくださる神を「はっきりと意識して」、その神に感謝を捧げる体験が大切なのです。そのような体験があってこそ、日本人はこの神に従わない罪を理解し、悔い改めることができるのです。

偶像礼拝の正しい理解

 もちろん、日本人であっても、クリスチャンは偶像礼拝を避けるべきです。ただし、偶像礼拝とは何かという問題をはっきりさせなければなりません。宣教師たちによって教えられた、西欧的理解による偶像礼拝ではなく、聖書が教える偶像礼拝をしっかりと理解しなければなりません。さらにまた、どの時点でクリスチャンとなったのかという問題も大切です。日本人はかなり長い期間をかけ、クリスチャンとクリスチャンでない者との「中間的心理状態」をさ迷った後に、明確なクリスチャンとしての自覚を持つようになります。このさ迷っている状態のときに、厳しい偶像礼拝禁止を適用することが果たして正しいかどうか、良く考えて見なければなりません。

もっと言うならば、現代の日本人にとってより深刻な偶像礼拝は、「むさぼり」という偶像礼拝であることを知らなければなりません。(コロサイ3:5) 現代の資本主義自由経済のもとでは、どんどん消費しなければ経済が発展しません。そのために、国家を挙げて内需の拡大と言います。消費を増やせと叫びます。言い換えると無駄使いをしなさいということです。無駄使いをしなければ経済は発展せず、国全体が貧しくなるシステムなのです。どんなにエコロジーを謳っても、自由主義経済の下では、使い捨てを続けて資源を使い尽くしていかなければ、世界は回転しないのです。そこに、「持っているもので満足しなさい」という聖書の教えをどのように適用するか、深刻な問題です。資本主義の自由経済そのものが、偶像礼拝のシステムとさえいえるのです。わたしたちはマモンを神としている偶像礼拝者です。マモンの神はいまや「キリスト教国アメリカ」を足がかりに、世界中を席巻し、アメリカの教会だけでなく、世界の教会に満ち満ちています。日本古来の偶像礼拝を糾弾し続ける宣教師は、珍しくありません。ところが貪りの偶像を拝み続けている、「キリスト教国アメリカ」の罪について語る宣教師には、出会ったことがありません。

結び

 これからの日本の宣教は、日本の宗教や文化を敵視する宣教であってはなりません。むしろ、神に似せて造られた人間の本能の現われが宗教であることを認め、寛容な態度で臨むべきです。神に似せて霊的な存在として造られた人間は、神を礼拝する本能を与えられているのです。神を礼拝するからこそ人間は人間なのです。日本人も人間として、礼拝するものを持ちたいと願うのは当然です。礼拝するのは罪ではなく、礼拝するものを知らずに「他のものを礼拝していた」ことが罪なのです。でもそれは、罪のために神から遠ざけられ、神の姿を見失ってしまった最初の人の子孫として、当然のことでもありました。日本人が神を知らなかったことが罪ならば、いままで日本人に真の神を伝えることができなかった教会の罪は、もっと大きな罪でしょう。宣教師たちは日本人の偶像礼拝を責めるよりも、自分たち教会が使命を遂行できなかったことを責めるべきです。

 母親がいないときは哺乳瓶で我慢してもらいましょう。哺乳瓶にはばい菌も不純物もくっついていたことでしょう。乳の成分もとんでもないものだったかもしれません。でも、母親がいなかったのです。日本の宗教は、キリストの福音が到来するまで、哺乳瓶の役割を果たしてきたのです。哺乳瓶を責めてはなりません。「お乳がたくさん出る母親が来たのだから、もう哺乳瓶は要らないよ」と教えればいいのです。母親の乳を飲ませればいいのです。イスラエル人の罪は、お乳がたくさん出る母親が到着し、母親からおいしい乳をたくさん飲んだにもかかわらず、母親を嫌って哺乳瓶に戻って行く罪なのです。

 聖書の譬えを用いてみましょう。イスラエル民族は神の救を通して神と契約し、「神の妻」となったのです。神の妻になる前のイスラエルが、他の男性である神々に心を寄せたことを、神はいちいち責め立てておられません。かえって忍耐と寛容を持ってごらんになり、許しまた赦してくださいました。しかし一旦神の妻となったイスラエルが、神を捨て、他の神々に心を寄せることは、まさに不貞の罪、姦淫の罪なのです。神はその罪を厳しく責め、自ら嫉妬深い神であると宣言しておられるのです。日本は、神様の妻となる契約を結んではいません。ですから、契約前のイスラエル、十戒付与前のイスラエルに対する、忍耐深く寛容な神の姿を見せられなければならないのです。

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