新約聖書における神の国(1/3)
(イエスの教えにおける神の国)
- マルコ1:15, マタイ4:17 -
1. イエス様の教えの中心
- 神の国が,イエスの教えにおいて重要な位置を占めていることは明白である.
⑴ 「神の国」を意味する「バシレイア」は,マタイで55回,マルコで20回,ルカで46回,ヨハ
ネで5回用いられている。
⑵ イエスは,「時が満ち,神の国は近くなった」(マルコ1:15、マタイ4:17)という宣言をもって公
生涯を開始し,御自身の派遣が神の国を宣べ伝えることにあると明言している。 (ルカ4:43)
⑶ 主イエスの御旨を遂行すべく選ばれ,派遣された弟子たちの仕事も神の国にかかわるもので
あり(マタイ13:52)、同じ主題の御言葉を宣べ伝えたのである。(マタイ10:7、24:14、 ルカ9:2、10:9)
⑷ ヨハネの福音書では,共観福音書における神の国の内容が「永遠のいのち」という表現で強
調されている。
2. 神の国の到來について - 「すでに」と「まだ」
イエスが宣言している神の国は,どこまでも具体的なものであり,神の統治,神の王権ばか りでなく,神の統治が及ぶ人生の全領域,物事の全領域において現実となる祝福などを含む。
⑴ 「すでに」.
① イエスは,「時は満ち,神の国は近くなった」と宣言している.(マルコ1:15)
② イエスが語り,みわざをなしているその時,主イエスの存在を通して,神の王権,統治が
明らかにされていくのである.(ルカ4:1、 17:20ー21)
③ 悪霊につかれた人々が主イエスによっていやされた時,神の国が,すでに人々のところに
現実にきていることが明言されている.(マタイ12:28)
④ すでに神の国は主イエスの宣教活動において現実となっている. (マタイ10:7、 11:12、
12:28、 ルカ10:9、11、 11:20、 16:16、 17:20)
⑵ 「まだ」
① 終りの時の到來を待ち望むことを示すものが多くある.その代表的なものは,いわゆる終
末についての教えである.(マタイ24ー25章、 マルコ13章、 ルカ21章)
② イエスは,神の国を未來のものとして,それが來るように祈り,その時に備えるように,
弟子たちに教えている.(マタイ6:10、 ルカ11:2(マタイ25:1ー13)
③ 神の国はすぐに來ることが強調されていると思われる。(マタイ16:28、 マルコ9:1、 ルカ9:27、
17:20、 21:31)
④ 人の子の到來,死者の復活,祝宴や結婚式への參与などの形で表現されている永遠の祝福
とかかわる. (マタイ8:11、 22:1ー10、 25:1ー13、 ルカ13:28ー29、 14:16ー24、 22:28ー30)
⑶ 「すでに」と「まだ」
① 主イエスが宣言する神の国は,神の現実的な統治である.このかぎりでは,神の国はすで
に現実となっている.
② 究極的な解放,勝利は主イエスの再臨の時であり,それはまだ起っていない.主イエスの
弟子,そして教会は,望みと忍耐を持って待ち望むのである.(ローマ8:18ー25)
新約聖書における神の国(2/3)
- 使1:3 -
1。使徒の働き
⑴ 使1:3によれば,イエスは復活後も弟子たちに神の国のことについて教え続けられたことがわかる.
⑵ 弟子たちはイエスの教えた真意を解せず,依然として神の国をイスラエルの民族的な椊の中
で理解しようとしていた.(使1:6)
⑶ 使徒の働きの中では神の国についての言及をあまり多く見出すことはできないが,使徒たち
の宣教において,神の国はその中心的主題であったことが明らかである.
⑷ 使8:12において,サマリヤにおけるピリポは「神の国とイエス․キリストの御名について」
宣べ伝えたと言われている.
⑸ パウロの宣教の中心も神の国に関するものであったことは,19:8,20:25,28:23,31に述べ
られている.
⑹ 使14:22において,パウロは神の国の未來的な面を強調し,神の国は多くの苦しみの後に來
ると語っている.
2。パウロ書簡
⑴ パウロは,神の国が現在的な面と未來的な面の両面を持っていると考えていた.
① 未來的な面に関する言及としてはⅠコリン6:9、10、 15:50、 カラテ5:21、 エペソ5:5、 Ⅰテサロ2:12、
Ⅱテサロ1:5、 Ⅱテモテ4:1、18を挙げることができる.
ⓐ 不品行等の汚れた生活をしている者は神の国を受け継ぐことはできないと述べ,倫理
的,道徳的面を強調している.(Ⅰコリン6:9、10、 ガラテ5:21、 エペソ5:5)
ⓑ 神の国に入るためにはふさわしい生活があり(Ⅰテサロ2:12)、苦難(Ⅱテサロ1:5)とさばきを通
して入れられるのである.(Ⅱテモテ4:1)
ⓒ そのために神は正しい者をすべての悪のわざから救い出して下さる.(Ⅱテモテ4:18)
② 神の国の現在的面としては、コロサ1:13、 ローマ14:17、 Ⅰコリン4:20等が挙げられる.
ⓐ 神は私たちをサタンの支配下から救い出して,キリストの支配下に入れて下さった.
(コロサ1:13)
ⓑ 神の国は「義と平和と聖霊による喜び」(ローマ14:17)なのであり,神の力の働くところな
のである.(Ⅰコリン4:20)
⑵ パウロは、神の国をキリストと父なる神と関連して語っている.
① エペソ5:5において「キリストと神との御国」と言って,神の国が父なる神のものであると
同時にキリストのものであると語っている.
② Ⅰコリン15:24では,キリストが終末の完成の時には国を父なる神にお渡しになると語っている.
③ コロサ1:13のことばと関連させて考えるなら,神の国は現在はキリストの支配の下に置かれ
ているが,未來の終末の完成の時には父なる神の支配下に置かれると考えてよいであろう.
新約聖書における神の国(3/3)
- ヘブラ12:28 -
「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝し
よう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」(ヘブラ12:28)
3。その他の書簡
- その他の書簡では,神の国についての言及はあまり多くはない.
⑴ ヘブラ1:8は、詩篇45:6の引用であり,それはメシヤの王権について言及している.
⑵ ヘブラ12:28では,「私たちは揺り動かされない御国を受けている」と語られている.
⑶ ヤコブ2:5では,神が貧しい者を選んで信仰に富む者とされ,御国を相続する者とされたと言
われている.(マタイ5:3,ルカ6:20と同じ信仰を示している.)
⑷ Ⅱペテロ1:11には「私たちの主であり救い主であるイエス․キリストの永遠の御国」という言
及がある.
4。ヨハネの黙示錄
- 黙示錄それ自体が,終末における神の国の究極的完成への過程を示している.
⑴ キリストの支配する神の国が地上に実現する.
① 神の力とサタンの力との戦いは激しさを極め,教会は苦難と殉教を味わう.
② キリストの再臨によって,神の力は完全な勝利を得る.
③ サタンは千年間底知れぬ所に閉じ込められ,その後最後の審判が行われる.
④ サタンとその支配下にある者はすべて火と硫黄の池に投げ込まれ,永遠に滅ぼされる.
⑵ キリストにあって救われた者は來るべき世における新天新地における天のエルサレムに
おいて永遠の祝福を受ける.
① これが終末における神の国の完成である.
② このように黙示錄自体が神の国について語っていると言える.
⑶ なお,神の国についての直接的言及は1:9,11:15,12:10に見ることができる.
① 1:9ではヨハネは自分を「イエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者」と述べ
ているところから,神の国の現在的祝福を指していると考えられる.
② 11:15は未來における神の国に言及しており,12:10も未來における神とキリストのサタン
に対する勝利について言及している.