わたしの愛の中にとどまりなさい
- ヨハネ福音15:7-10 -
シャローム宣教会
[ヨハネ福音15:7-10] 7. あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。8. あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
9. 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。10. もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
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[ヨハネ福音14:22-23] 22.イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」23.イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
[ヨハネ福音14:16-17] 16.わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。17.その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
+ 御霊は御父からも御子からも遣わされる方として表現されています。その御霊が私たちのうちに宿っておられる(とどまる)ことと、御父と御子が私たちとともに住むことなのです。御霊が私たちのうちに宿っておられることと、御父と御子が私たちとともに住むことが、同時に起こっているのです。つまり、三位一体の神が私たちと住まいを同じくしているという霊的現実が起こるのです。そのことを通して、神はこの世にご自身の愛を現わそうとしているのです。神のゆるぎない愛を信じて、その愛の中に生きることが、私たちのなすべき最も大切なことなのです。
1. わたしのうちにとどまりなさい [ヨハネ福音15:4-8、本文]
[ヨハネ福音15;5-6] 5. わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。6. だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
+ ヨハネ音書15:1-10には10回、繰り返して使われている「とどまる(メノーμενω)」という動詞があります。このことばは、ヨハネの福音書、ヨハネの手紙における最も重要な用語です。このことばの最も重要な点は、「滞在する、泊まる」といった一時的なことではなく、永続的な、一回的な決心に基づくもので、「神とのより親密な深い交わり」を意味します。
+ 聖書の中でイエスと短い期間、過ごした人々がどういう変化をしたのかを少しここで見てみましょう。
(1) アンデレ&ヨハネ
パブテスマのヨハネの弟子であったアンドレとヨハネと共に立っていたが、イエスが歩いているのを見て、ヨハネが「見よ、神の小羊」と言うのを聞いて、関心を持ち、ふたりイエスについて行った、そして彼らはイエスと一夜を過ごしました。すると、―「私たちはメシアに会った。」と言ってペテロに伝えました。
(2) 取税人ザアカイ
イエスを自分の家に招いて泊めた。なぜなら、イエスから直接、「きょうは、あなたの家に泊まることにしてある」というイエスのことばを聞いたからである。― 取税人であり、守銭奴であったザアカイは、自分の財産の半分を貧しい人に施し、だまし取った物は、例外なく四倍にして返すという、まさに180度の人生の転換をしました。
(3) エマオの二人の弟子
イエスがメシアであると期待してイエスに従って行った二人の弟子。しかしエルサレムでの十字架の出来事によって彼らの期待は完全に打ち砕かれ、失望落胆して自分の住む村に向かって帰っていく途中で、イエスが同伴します。彼らはイエスを自分の家に招き泊まるように願いました。彼らはもっと話を聞きたいと思ったのです。その招き入れた人がイエスだとわかりました。彼らは、聖書の理解に目が開かれ、悟りを与えられ、心燃える経験をしたのでした。」
= このように、わずか1日だけでもこれだけの影響を受けたとすれば、それが継続的にイエスにとどまり、イエスに繋がって生きるとき、どんなことが起こるか想像が及ばないほどです。おそらく「こんな自分になるとは、全く思いもよらなかったと」言えるほどのことが起こると思います。
2. わたしの愛の中にとどまりなさい。[ヨハネ福音15:9-10、本文]
+ 御父にとどまられた御子、御子にとどまられた御父、御子にとどまられた御霊、そのとどまり方がいかなるものであったかをヨハネは特に強調しています。
まずは御父にとどまっておられた御子イエスは、繰り返し、繰り返しなんども語っていることがあります。それは「父がわたしにおられ、わたしが父にいることを」― わたしと父とは一つですということをいろいろな表現をもって語っています。
[ヨハネの福音書17:20-23] 20. わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。21. それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。22. またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。23. わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
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+ 私たちがキリストのうちにとどまり、キリストも私たちのうちにとどまるというかかわりがなされるとき、そのような人には神の約束がいます。
+ そのような人には多くの実を結ぶようになります。
+ そのような人にはなんでも求めるものはかなえられるようになります。
+ そのような人には生きる喜びに満たされるようになりまる。