神は私のために
- 詩篇91:14-16 -
シャローム宣教会
[詩篇91:14-16]「14. 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。15. 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。16. わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」
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詩篇91篇は、困難の中で神の救いと解放を確信する歌である。詩人が自分の確信をイスラエルの民に教える歌と思われる。信頼の告白、保護の内容、神の答えの確信を語っている。
1. 信頼の告白
⑴「私は主に申し上げよう。わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」(詩篇91:2)
- 参照: <ヤコブの夢と誓い (創世記28:10-22)>。
[創世記28:16]「ヤコブは眠りからさめて、まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。」
[創世記28:20-22]「20. それからヤコブは誓願を立てて言った。神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、21. 私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、22. 私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」
<參考> 誓願: Vows
神様に何かをするとか、一定期間しないことを自発的に約束することを言う(レビ記27:1-29)。誓願は通常、神の助けを受けるためや、与えてくださった恵みに感謝するためにした。誓願は自発的にするものであり、誓願をしないことが罪になることはなかった。しかし、誓った以上は必ず守らなければならず(民数記30:2; 申命記23:21-23)、履行できなかった場合には犠牲の供物を捧げて赦されなければならなかった(レビ記5:4-6)。
2. 保護の内容
⑴「主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。」(詩篇91:3)
+ [詩篇91:4]「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。」
+ [詩篇91:5-6]「5. あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。6. また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。」
⑵「千人があなたのそばで、万人があなたの右側でひれ伏しますが、この災難があなたに近づくことができないでしょう。
+ [詩篇91:8]「あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。」
+ [詩篇91:10]「わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。」
⑶「まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。」(詩篇91:11)
+ [詩篇91:12]「彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。」
⑷「あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。」(詩篇91:13)。
- 参照: <メシアの預言 (イザヤ書42:5-7)>。
[イザヤ42:5-7]「5. 天を造り出し、これを引き延べ、地とその産物を押し広め、その上の民に息を与え、この上を歩む者に霊を授けた神なる主はこう仰せられる。6. 「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。7. こうして、盲人の目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。」
3. 神の答えの確信
⑴「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。(詩篇91:14)
⑵「彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。」(詩篇91:15)
⑶「わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」(詩篇91:16)
- 参照: <ヤコブになされた神の約束 (創世記28:15)>。
[創世記28:15]「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
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世界は患難と災難が多いだが、主なる神を畏れ、自分のすべての過ちと弱さを告白し、主を頼り、主に従う者は主の保護を受ける。
したがって、聖徒は主なる神を知り、畏れ、愛し、頼り、神の御言葉通りに義と善を行い、また、どんな理由によっても困難なことがあっても落胆せず、思い浮かぶ罪をすべて悔い改め、イエス・キリストの義だけを頼り、神に祈るべきである。