私の慰め
- 詩119:50 -
「あなたの仰せはわたしに命を得させるでしょう。苦しみの中でもそれに力づけられ ます。」 (詩119:50)
「魂の苦しみを知るのは自分の心。その喜びにも他人はあずからない。」(箴 14:10) だれでも自分の内に秘めている「苦しみ」がある。その「苦しみ」を解決でき る「慰め」を見つけることができれば、それは本当に幸せで素晴らしいことである。
1. キリスト者は特有の慰めを感じている。
⑴ その慰めは世の慰めとは違う。
- 世は自分が好むものに慰めを得ようとする。しかしキリスト者は神の御言葉に慰め られる。 - 「あなたの仰せはわたしに命を得させる。」 (本文)
「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与え る。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、…」 (詩19:7-8)
⑵ その慰めはすべて父なる神様の愛にある。
- その慰めは人からではなく、私たちを愛しておられる神から与えられる。
「…あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたよう に、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」 (ヨハネ17:23)
2. その慰めはキリスト者にどのようにあるのか?
⑴ キリスト者は神の御言葉が「私の慰め」であると言う。
- 「苦しみの中でもそれに力づけられます。」(本文)
① 私たちの神様はすべてのことの慰めである。
「…慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あら ゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの 慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」 (Ⅱコリン1:3-4)
② 私たちの神様は御言葉(聖書)で私たちを慰めてくださる。
「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたした ちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。」 (ローマ15:4)
⑵ キリスト者は神の愛のみ手に「慰め」を体験する。
- 「…わたしたちの主イエス․キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永
遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、…」(Ⅱテサロ2:16-17)
① あらゆる苦難にいるとき、神は私たちを慰めてくださる。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、…」 (Ⅱコリン1:4)
② 神は私たちの嘆きを聞きいれて慰めてくださる。
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」 (마5:4)
③ 神は私たちに信仰を与え、互いに慰め合うようにしてくださる。
「兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの 信仰によって励まされました。」 (Ⅰテサロ3:7)
⑶ 多くの人たちは肉体の諸欲から「慰め」を得ようとする。
- 色んな形の慰めがある。しかしそれは神が与えてくださる慰めではない。
<參照; ガラテ5:18-21>
① 富と宝を慰めとする。 - それらは虚しいものである。
② 夢や幻、占いなどを慰めとする。 - それらは迷信である。
③ 偶像崇拝と泥酔、放蕩などで慰めを得ようとする。- それらは邪悪なことである。
④ 友人を慰めとする。 - それは落込みの原因にもなる。
3. ならば「私の慰め」は?
⑴「私の慰め」は神の御言葉から始まっているのか?
- フード牧師(Rev. E. Paxton Hood)は言った。「この祝福の聖書があなたを救ったのか? そうならばすべての苦難の日にこの聖書を読んでみよ。あなたを失望させることはない」
⑵ 私は「慰め」を神のみ手に体験しているのか?
- 神はイザヤ預言者に言われた。「…たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えて あなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。」 (イザヤ41:10)
⑶ 私は「慰め」を肉体の諸欲にもとめてはいないのか?
- パウロはキリストの弟子たちに次のように言った。「人間の言い伝えにすぎない哲学、つ まり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。…」(コロサ2:8)