イエス様の御手
- マタイ8:14-15 -
「イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。(마8:14-15)
人は手で働く。すなわち生活用品を作り、楽器を演奏し、画と文字を書くなど色ん な働きをする。しかしイエス様の御手は単純なそんな手ではなかった。イエス様の御 手が触れるところにはイエス様の権勢と力によって奇跡が起こった。
1. イエス様の御手は癒す手であった。
⑴ イエス様の御手が触れたらあらゆる病気や患いをいやされた。
- 今日もイエス様の能力の手が我らのあらゆる病気や患いをいやして下さるように祈りましょう。(参照; 讃頌歌 530章) <龋話; 母の手は、薬の手>
① <本文>
②「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、 たちまち、らい病は清くなった。」(マタイ8:3)
③「…ある指導者がそばに來て、ひれ伏して言った。わたしの娘がたったいま死にま した。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るで しょう。」、「群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りに なった。すると、少女は起き上がった。」(マタイ9:18, 25)
④「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその 人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。すると、盲人は見えるよう になって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かりま す。」そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきてい やされ、何でもはっきり見えるようになった。」(マルコ8:23-25)
⑵ イエス様の御手はその民の手をとらえていてくださった。
①「あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い 起こさねばならない。」(申5:15)
②「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださ る。」(詩37:24)
2. イエス様の御手は赦す手であった。
⑴ 十字架の上で釘つけられたイエス様の御手は我らのすべての罪と過ちを赦した。
①「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたの は、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに 平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ53:5)
⑵ 弟子である私たちは自分の十字架を背負ってついて行かなければならない。
①「自分の十字架を背負ってついて來る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子で はありえない。」(ルカ14:27)
⑶ パウロは「イエスの焼き印を身に受けている」と言った。
①「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を 身に受けているのです。」(ガラテ6:17)
3. イエス様の御手は治める手であった。
⑴ イエス様は自分の手で人々を治められた。
①「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」(使11:21)
②「今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が來るまで 日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり 見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。」(使13:11)
⑵ イエス様は自分の手ですべての人を支配した。
①「あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあな たからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。」(ヨハネ17:2)
イエス様の御手は、あらゆる病気や患いをなおす癒しの手、罪人を愛する赦しの手、 すべての人を統治する治める手である。私たちはすべての疑心と驕慢を捨て、我らの主 イエス様の御手につかまえるのがよいでしょう。そうすれば主イエス様は、自分の権能 の御手で、私たちに約束したすべての恵みを与えて下さるだろう。