イエスの十字架
ー ヨハネ19:17-18 -
「イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。」(ヨハネ19:17-18)
十字架の必要性をイエスは前もって教えられたが(マタイ16:21,マルコ8:31,ルカ9:22), 復活と聖霊降臨の後,弟子たちは,神の御計画の中で十字架のつまずきが,どんな意味 と必要性を持っていたかを高らかに宣言している(使2:23,ガラテ5:24,エペソ2:16,コロサ 1:20).新約はイエスの十字架を,その事実と,象徴的意義の二面から描いている.
1.その事実
⑴ 何とも奇妙な裁判の後で,ピラトは「イエスをむち打ってから,十字架につけるために引き渡した」.(マタイ27:26)
「ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。」(マタイ27:26)
⑵ イエスは御自分で十字架の横木を負って,ゴルゴタに向かって出て行かれた.(ヨハネ19:17)
⑶ 十字架の横木は非常に重いというわけでもなかったが,イエスの弱った体には無理であったので,通りかかったクレネ人シモンに,イエスの十字架を背負わせた.(マルコ15:21)
「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て來て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」(マルコ15:21)
⑷ 刑場に着くと,十字架の横木にイエスの手を釘付けにしてから,すでにそこに立てられていた親柱に,十字架を押し上げて取り付けた.(ヨハネ19:18)
⑸ イエスの頭上にはヘブル語,ラテン語,ギリシヤ語で書かれた罪状書きが掲げられた.(マタイ27:37,ヨハネ19:19,20)
「イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。」(マタイ27:37)
⑹ 十字架上で,イエスは息を引き取られた.(マタイ27:50)
「イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。」(マタイ27:50)
⑺ 十字架の死は,イエス御自身がすでに予期しておられたことであり,しかも御自分では逃れることのできない死であった.(マタイ20:18,19,27:40ー42)
「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、」(マタイ20:18)
2.その象徴的意義
⑴ イエスの十字架は,歴史における神の贖罪のみわざの象徴となった.(コロサ1:20,Ⅰペトロ2:24)
「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」(コロサ1:20)
⑵ 罪人たちを責め立てている債務証書は,神によって取りのけられ,十字架に釘付けにされ,無効とされた.(コロサ2:13,14)
「…規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」(コロサ2:13,14)
⑶ 十字架による神との和解は,ユダヤ人と異邦人との間の隔ての壁を打ち壊し,救いは全人類のための普遍的なものとなった.(エペソ2:11ー16)
⑷ ユダヤ人はローマ人とは違って,生きている者を十字架にかけることはしなかった.しかし処刑された者の死体を木につるし,その罰をより強烈なものとし,その恥を公 にさらすことがしばしば行われた.(申21:22,23)
⑸ イエスの十字架は,イエスがわれわれに代ってのろいを受けられたことをも意味した.(ガラテ3:13,ピリピ2:68)
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。…」(ガラテ3:13)
⑹ 十字架は,「ユダヤ人にとってはつまずき,異邦人にとっては愚かで」あった.しかしキリストを信じる者にとっては,「神の力,神の知恵なので」ある.(Ⅰコリン1:23,24)
「…ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」(Ⅰコリン1:23,24)