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父親の愛と神の愛
- 2サムエル18:33, 19:2~4 -
●「すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。『わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子。』 」(2サムエル18:33)。
●「それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった。この日、民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたからである。民はその日、まるで戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た。王は顔をおおい、大声で、『わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ。』と叫んでいた。 」(2サムエル19:2~4)。
かつてのイスラエルの王ダビデは、実に数々の苦難と波乱に満ちた生涯を送った王であったことは、聖書を読むとよく分かります。羊飼いの少年から身を起して、初代の王サウルに代わって王位に就きましたが、それは、神の導きで、彼が神を恐れ敬い、その導きに従ったからでした。でも、彼にも欠点があり、ある失敗のために非常な苦境を経験しなければならなかったのです。それは、実子アブシャロムが父親のダビデに反逆して、王位をめぐって親と子が戦わなければならなくなったことです。これは、ダビデにとっては非常につらい経験であったと思います。わが国でも、戦乱の昔、親子兄弟が相分かれて血で血を洗うような悲しい歴史が多く残っていることは、みなさんもご存じのことと思います。
さて、ダビデ王の第三子であるアブシャロムは、父の王座を狙って謀反を起し、ひそかに工作して、民の心を自分に引き寄せ、クーデターを起したのです。不意をつかれたダビデは、一時は非常な危険に晒されたのですが、かろうじて逃げのび、幾多の苦難の後、やがて陣容を整えることができました。そして、双方の軍隊がエフライムの森で戦ったのです。この時、ダビデ王は出陣する将軍たちに「わたしに免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」(18:5)と命令しました。ダビデにとっては、実のところ、自分のことよりも、自分に反逆を企てたアブシャロムのことで胸がいっぱいであったのです。自分のいのちを狙う敵ではあったのですが、アブシャロムはダビデにとって、愛するわが子であったのですから、当然のことであったと思います。
アブシャロムは、自分の出世のためには父の命をも奪おうと考えた野心家であったのです。2サムエル記18章の記述にあるように、エフライムの森で激しい戦いが繰り広げられたのですが、アブシャロムの軍隊に多くの戦死者が出て、密林で行き倒れなった兵士も多く、ダビデ王の軍隊が大勝したのです。戦いの最中アブシャロムは騾馬に乗っていたのですが、騾馬が大きな樫の木の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙吊りになってしまいました。それでダビデの軍隊は、木に宙吊りになっていたアブシャロムの心臓を槍で突き刺したので、アブシャロムは殺されてしまったのです。そして、戦線からの伝令が王のもとに走って来て、「あなたの神、主がほめたたえられますように。主は、王様に手向かった者どもを引き渡してくださいました。」(18:28)と、伝えたのです。
そうしたら、王は「若者アブシャロムは無事か。」と聞きました。伝令は、王の悲しみを思い(あるいは王を恐れて)、「‥‥何があったか分かりません」と口を濁して答えました。そこへ、第二の伝令が走って来て、王に「王さまにお知らせいたします。主は、きょう、あなたに立ち向かうすべての者の手から、あなたを救って、あなたのために正しいさばきをされました。」(18:31)と伝えました。王は、またその伝令に「若者アブシャロムは無事か。」と、再び尋ねたのです。そして、その伝令は「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者(アブシャロム)のようになりますように。」と言って、「死んだ」ということばを使わないで、ダビデの息子の死を遠回しに伝えたのです。この伝令のことばによって、わが子アブシャロムの戦死を知ったとき、王は身震いして悲しみ、門の屋上の部屋に上がって泣き続けました。
まさに、王の心は断腸の思いであったことでしょう。そして、王は泣きながら、次のように叫び続けました。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」 聖書は、わが子を失った時のダビデの嘆きを、このように切々と書き記しているのです。父親に背いたわが子の罪を責め、咎めようともせず、「ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。」と叫んだダビデの愛が私たちの心を打ちます。ダビデは勝利の喜びよりも、わが子の死を嘆き悲しんだので、その軍隊は戦いに敗れて逃げ帰った民のようにひそかに町にはいり、輝かしい勝利はすべての民の悲しみとなったことが記録されてあります。
たとい、自分に反逆したわが子であろうとも、その子の死を悲しまない親がいるでしょうか。自分が天下をとるためには父のいのちをも奪おうとしたアブシャロムでした。しかし、たとい彼がいかなる悪事を働こうとも、ダビデにとっては、わが子であったのです。それゆえダビデはアブシャロムの死を悼み、泣き悲しんだのです。この父親のわが子への愛情や機微は、ダビデの命を守るために身命を賭して戦った将軍や兵士には、用意に理解できなかったかもしれない。しかし、父親の愛とはそういうものなのではないでしょうか。わが子が死ぬことを望む父はいません。このダビデのわが子アブシャロムに対する親の愛は、神の愛をよく表していると思います。
あのルカの福音書15章の例え話を思い出してください。弟息子は、父の家にいることに満足できないで、父に反抗して家出をし、父親からもらった財産で毎日贅沢に遊び暮らし、放蕩三昧の生活をして、湯水のように財産を使い果たし、どん底の生活をするまでに落ちぶれてしまいました。最初は周りにたくさんいた友人も、一人二人とみな去って行きました。「落ちぶれて 袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ知らるる。」という歌がありますが、この時の彼の心境は、この歌を詠んだ人の心境に似たものがあったと思います。人の心の冷たさに触れ、深い孤独感の中にあったはずです。彼は、豚小屋の中でやっと本心に立ち帰って、悔い改める決心をしたのです。
ボロボロになって、乞食のようになって、帰って来たわが子に父親は駆け寄り、抱擁し、何度も何度も口づけし、抱擁したのです。「口づけした。」ということばは、直訳では「何度も何度も口づけした」という意味だそうです。そして、息子が帰えって来たときのために用意していた、最上の着物を着せ、肥えた子牛を屠って、ご馳走を作り、祝宴を開いたのです。父親は、「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」と、言いました。この例え話の中の兄は、自分の義を誇り、他人を見下げてさばいていたパリサイ人を表していますが、彼はこのような父の態度に満足せず、怒って家に入ろうともしませんでした。
しかし、父親は、彼を諭すように言いました。「おまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と。何と大きな父親のわが子に対する愛ではないでしょうか。英文で、「愛は不在と隔たりと沈黙には耐えられない。」というような意味のことばを読んだことがあります。この父親は、こんなできそこないのような息子でも愛していました。弟息子が父から遠く離れていた「不在」と「隔たり」と「沈黙」には、耐えられないほど苦しみを味わい、断腸の思いであったことでしょう。ある人が「『親』という字は『木の上に立って見る』と書くでしょう。親不孝な子供でも、親というのは、木の上に立って、わが子の帰りを待っているのです。」と言ったことばが今でも心に残っています。
●「それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった。この日、民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたからである。民はその日、まるで戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た。王は顔をおおい、大声で、『わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ。』と叫んでいた。 」(2サムエル19:2~4)。
かつてのイスラエルの王ダビデは、実に数々の苦難と波乱に満ちた生涯を送った王であったことは、聖書を読むとよく分かります。羊飼いの少年から身を起して、初代の王サウルに代わって王位に就きましたが、それは、神の導きで、彼が神を恐れ敬い、その導きに従ったからでした。でも、彼にも欠点があり、ある失敗のために非常な苦境を経験しなければならなかったのです。それは、実子アブシャロムが父親のダビデに反逆して、王位をめぐって親と子が戦わなければならなくなったことです。これは、ダビデにとっては非常につらい経験であったと思います。わが国でも、戦乱の昔、親子兄弟が相分かれて血で血を洗うような悲しい歴史が多く残っていることは、みなさんもご存じのことと思います。
さて、ダビデ王の第三子であるアブシャロムは、父の王座を狙って謀反を起し、ひそかに工作して、民の心を自分に引き寄せ、クーデターを起したのです。不意をつかれたダビデは、一時は非常な危険に晒されたのですが、かろうじて逃げのび、幾多の苦難の後、やがて陣容を整えることができました。そして、双方の軍隊がエフライムの森で戦ったのです。この時、ダビデ王は出陣する将軍たちに「わたしに免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」(18:5)と命令しました。ダビデにとっては、実のところ、自分のことよりも、自分に反逆を企てたアブシャロムのことで胸がいっぱいであったのです。自分のいのちを狙う敵ではあったのですが、アブシャロムはダビデにとって、愛するわが子であったのですから、当然のことであったと思います。
アブシャロムは、自分の出世のためには父の命をも奪おうと考えた野心家であったのです。2サムエル記18章の記述にあるように、エフライムの森で激しい戦いが繰り広げられたのですが、アブシャロムの軍隊に多くの戦死者が出て、密林で行き倒れなった兵士も多く、ダビデ王の軍隊が大勝したのです。戦いの最中アブシャロムは騾馬に乗っていたのですが、騾馬が大きな樫の木の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙吊りになってしまいました。それでダビデの軍隊は、木に宙吊りになっていたアブシャロムの心臓を槍で突き刺したので、アブシャロムは殺されてしまったのです。そして、戦線からの伝令が王のもとに走って来て、「あなたの神、主がほめたたえられますように。主は、王様に手向かった者どもを引き渡してくださいました。」(18:28)と、伝えたのです。
そうしたら、王は「若者アブシャロムは無事か。」と聞きました。伝令は、王の悲しみを思い(あるいは王を恐れて)、「‥‥何があったか分かりません」と口を濁して答えました。そこへ、第二の伝令が走って来て、王に「王さまにお知らせいたします。主は、きょう、あなたに立ち向かうすべての者の手から、あなたを救って、あなたのために正しいさばきをされました。」(18:31)と伝えました。王は、またその伝令に「若者アブシャロムは無事か。」と、再び尋ねたのです。そして、その伝令は「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者(アブシャロム)のようになりますように。」と言って、「死んだ」ということばを使わないで、ダビデの息子の死を遠回しに伝えたのです。この伝令のことばによって、わが子アブシャロムの戦死を知ったとき、王は身震いして悲しみ、門の屋上の部屋に上がって泣き続けました。
まさに、王の心は断腸の思いであったことでしょう。そして、王は泣きながら、次のように叫び続けました。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」 聖書は、わが子を失った時のダビデの嘆きを、このように切々と書き記しているのです。父親に背いたわが子の罪を責め、咎めようともせず、「ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。」と叫んだダビデの愛が私たちの心を打ちます。ダビデは勝利の喜びよりも、わが子の死を嘆き悲しんだので、その軍隊は戦いに敗れて逃げ帰った民のようにひそかに町にはいり、輝かしい勝利はすべての民の悲しみとなったことが記録されてあります。
たとい、自分に反逆したわが子であろうとも、その子の死を悲しまない親がいるでしょうか。自分が天下をとるためには父のいのちをも奪おうとしたアブシャロムでした。しかし、たとい彼がいかなる悪事を働こうとも、ダビデにとっては、わが子であったのです。それゆえダビデはアブシャロムの死を悼み、泣き悲しんだのです。この父親のわが子への愛情や機微は、ダビデの命を守るために身命を賭して戦った将軍や兵士には、用意に理解できなかったかもしれない。しかし、父親の愛とはそういうものなのではないでしょうか。わが子が死ぬことを望む父はいません。このダビデのわが子アブシャロムに対する親の愛は、神の愛をよく表していると思います。
あのルカの福音書15章の例え話を思い出してください。弟息子は、父の家にいることに満足できないで、父に反抗して家出をし、父親からもらった財産で毎日贅沢に遊び暮らし、放蕩三昧の生活をして、湯水のように財産を使い果たし、どん底の生活をするまでに落ちぶれてしまいました。最初は周りにたくさんいた友人も、一人二人とみな去って行きました。「落ちぶれて 袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ知らるる。」という歌がありますが、この時の彼の心境は、この歌を詠んだ人の心境に似たものがあったと思います。人の心の冷たさに触れ、深い孤独感の中にあったはずです。彼は、豚小屋の中でやっと本心に立ち帰って、悔い改める決心をしたのです。
ボロボロになって、乞食のようになって、帰って来たわが子に父親は駆け寄り、抱擁し、何度も何度も口づけし、抱擁したのです。「口づけした。」ということばは、直訳では「何度も何度も口づけした」という意味だそうです。そして、息子が帰えって来たときのために用意していた、最上の着物を着せ、肥えた子牛を屠って、ご馳走を作り、祝宴を開いたのです。父親は、「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」と、言いました。この例え話の中の兄は、自分の義を誇り、他人を見下げてさばいていたパリサイ人を表していますが、彼はこのような父の態度に満足せず、怒って家に入ろうともしませんでした。
しかし、父親は、彼を諭すように言いました。「おまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と。何と大きな父親のわが子に対する愛ではないでしょうか。英文で、「愛は不在と隔たりと沈黙には耐えられない。」というような意味のことばを読んだことがあります。この父親は、こんなできそこないのような息子でも愛していました。弟息子が父から遠く離れていた「不在」と「隔たり」と「沈黙」には、耐えられないほど苦しみを味わい、断腸の思いであったことでしょう。ある人が「『親』という字は『木の上に立って見る』と書くでしょう。親不孝な子供でも、親というのは、木の上に立って、わが子の帰りを待っているのです。」と言ったことばが今でも心に残っています。
この例え話では、「父親」は「神」を表しています。息子は私たち神から離れ、神に反抗して永遠の滅びに向かっている私たち罪人を示しています。ですから、この例え話は、「神の偉大な愛」を表しているのです。三つの例え話は、御子イエス・キリスト、聖霊、御父の三位一体の神の愛を示しているのです。預言者エゼキエルは、「わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」(エゼキエル書33:11)と、神のメッセージを語っています。神のみこころは、私たちが滅びることではなく、生きることであると語っています。
●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 」(ヨハネの福音書3:16)。
●「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」(ローマ人への手紙5:6~8)。
●「キリストも一度(人類の)罪のために死なれました。正しい方が悪い人々(私たち)の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」(1ペテロ3:18)。
父なる神から遣わされた御子イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、自らの罪のために滅びるほかはない私たちが生きるためであり、永遠のいのちを得るためであったのです。神は、こんな罪深い者たちのために、ご自身のひとり子イエス・キリストを遣わしてくださったのです。何という偉大な驚くべき愛ではないでしょうか。どうぞ、神が差し伸ばしておられる愛の御手を拒むことのないようにお勧めいたします。